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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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”ノオが悪い”っていう土佐弁がある。
高知の人間もこの”ノオ”が何のことか誰も知らん。

このノオは日本神話に出てくるスサノオのノオやろう。

昔はおそらく”スサノオの居心地が悪い”って言われよった(笑)

それがいつしか”ノオが悪い”にちじめられていった。

大豊町の日本一の大杉の下にはスサノオが眠っちゅうって
神社の放送でいよった。
(あの放送はなんとかしてもらいたい(笑))

それは”ノオがえい”ということ。

なぜなら、ノオがえいということは
世界が社会がナギって(安定して)
滞りなく進んでいくき。

でもスサノオが暴れだしたら
日本神話に記述されちゅうように
大地が鳴動し大海原は荒れ、大変な天変地異が起こる。

その象徴がスサノオ。

”ノオが悪い”っていう言葉の意味は
居心地が悪いとか、しっくり来んとか
うまく調和しないとか、そういう意味。

それは大地を鎮めてきた
土佐ヤマタイコクの鎮護大地の思想。

サメウラの人工降雨実験
こじゃんとノオが悪い。

ノオが悪いということはバチが当たるということ。

ノオの意味を知っちゅのは土佐人だけ。
アメリカの手先である気象庁の人工降雨実験なんか
許したらいかん。

大地を鎮めて自然の有り様を守っていくのが
ヤマタイコクの思想であり、土佐の自然主義の哲学。

霞ヶ関や永田町に陣取るわけのわからん異国の渡来人を追放しよう!

自然を破壊し、子供たちの首を絞め
貧しい人たちから金をむしりとり
自分たちはサミットで贅沢三昧。

どう考えても日本人ではない。

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島本さんがおもしろい記事をぞくぞくとUPしよりますね。

土佐人の物語10

島本さんが本文で言われゆう
聖徳太子、紀貫之、空海
まっことこの3人に纏わる話は怪しい。

聖徳太子が道後(にぎたつ)に行った話は有名。

なぜ道後ながか?
もっと四国の人間は深く考える必要がある。

白鳳の大地震では道後温泉が枯れた、なんていう話もある。

もし仮に日本書紀の神武東征が四国を全く経由せん
ルートやったとしたら聖徳太子の道後行きはおかしい。

『土佐日記』も怪しい。
島流しに設定される遠国土佐へ行った紀貫之が
なんで日本語の口語の原型である土佐日記を書けたがか?
土佐弁レボリューション

これは紀貫之だけの業績やないはず。
土佐に漢字が輸入された後
弥生時代のように急速に国風化されたがやないろうか。


ほんで空海。

桓武天皇の時代に土佐は流刑地に設定されちゅう。
空海が権力とくっついたのも桓武天皇の時代。

先日、今上皇太子も武寧王の子孫ということを発言して
日本以外の国では話題になったけど
日本国内では、かなり情報統制された。

天皇は桓武天皇系で継続されてきちゅう。

しかし、今更それを覆すのもバカらしい。


島本さんが書いちゅうように
土佐人の愛国心というのは
祖国邪馬台国への愛国やと思う。

なんでかっていうと土佐人の愛国は
ほとんど自然主義とくっつく(笑)
人工的な国家主義とはほとんど親和性がない。

やき、明治時代に薩長の藩閥政府が国家神道で締め付けを
行った時に自由民権が興った。

『自由は土佐の山間より』いうけんど
この山間とは邪馬台国のこと。

自由合議の共立思想を生み出した土台が
今でも高知の山間には残っちゅう。

”おきゃく”が、その時代の文化を継承する
手段であることは言うまでもないこと。

酒飲んでハシケンやってバカ騒ぎすることだけがおきゃくやない。

文化的、歴史的な重要なバックボーンも持っちゅう。


しかも武市半平太の実家は霊的には石鎚山とつながる土地。
十市の石土神社には”石鎚神社の元宮は当社や”と
しっかりと書かれちゅう。

iwatuti1


紀貫之も、そこから出発したやろ。

全てが一本の矢になってつながる。

高知県人はもっと歴史を知る必要があるやろ。
リベラリズムと天皇制が共存する地域なんか他にはないし。

高知の天皇制は絶対王政ではない。


神産み『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本神話の神生みの段で

『禊祓と三貴子の誕生』がある

ここに次のような文章が出てくる。

***引用はじめ***
イザナギは、黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)へ行って、禊を行った。身に着けていた物を脱ぐことによって十二神が生まれた。
***引用おわり***


竺紫は一般的には九州やと言われちゅうけんど全くの間違い。
ほんまは土佐清水、大月、宿毛のへんを昔は竺紫国と呼んだ。

今でもコツクシ、タツクシと言うろう?

ほんでそのひむか(東)の”あはきはら”は
どこかというたら、高知で一番きれいな
”おおきのはま”。

おおきのはまはおそらく古代はおほきのはまと呼ばれよったろう。
もっと前は”おはき”とか”ははき”と言われよったろう。

”ははき”は蛇が寄り付く依代でアラハバキとか
ニギハヤヒ、アマツハハの語源になったもの。

とにかく蛇信仰とか龍信仰、禊、三貴子なんか全部土佐清水周辺で
起こっちゅう。


ここでかの有名な、アマテラス、スサノオ、ツクヨミが生まれたが。



足摺岬の地形は鰐が口を広げた八尋鰐の地形。

かの有名な因幡の白兎『ウィキペディア(Wikipedia)』の舞台もここ、足摺岬。

出雲に全部とられたけんど、白ウサギは白山のこと。

淤岐島(おきのしま)は沖の島。



日本神話に出てくるタカチに穂があるタカチホは
東の日の出と西の日の入りを見る事ができる。

タカチは高知と書く。
万葉集にはたかしらす(高知らす)と良く出てくる。
これは天皇と密接に関わる言葉。

宿毛には高知坐神社という神社がある。
こうちじゃなくてタカチ。
しかもここの祭神は都味齒八重事代主神。
これは八尋鰐のこと。

これが高知市内の一宮神社へ行って
事代主になって一言主になったが。
ほんでその次にアジスキタカヒコネ神になったがよ。

全部、辻褄が合う。

ほんで、畿内へ進出した時に高市に変わった。


タカチのもともとは足摺岬周辺のこと。

くしふる高千穂も九州に奪われた。

龍馬が新婚旅行で九州に行った時に
剣を引っこ抜いたらしいけんど(笑)


とにかく、高知の南西部は皇祖の都やき
高速道路も飛行場も、ましてや
アメリカ軍なんかとんでもない。

保護せんとほんまにバチが当たる。

神話の開拓で南西部は経済活性化をしていかんといかん。

それぐらいの観光資源が埋もれちゅうがやき。


先週、西伊豆へ行っちょりました。

伊豆1

西伊豆の一番北に突き出た大瀬岬というところに大瀬神社という神社があります。

行ってびっくり、雨やのにすごいダイバー。
まあダイビングに天気は関係ないか。

DSC00867.JPG
雨やったけど海はきれい。

やき、結構人がおるね。




 

 DSC00882.JPG

この岬の先端にある大瀬神社は別名、引手力命神社

左の縁起を見てもろうたらわかるけんど
何を引っ張ってきたかというと
684年の白鳳の大地震で土佐から土地を引っ張ってきたが。

土佐で沈んだ土地の代わりに、こっちの土地が盛り上がってきたらしい。

それぐらい白鳳の大地震はすごかったらしい。

南海地震の特徴(徳島地方気象台)

それもそのはず、上のリンクを見て。
南海地震を引き起こす南海トラフと駿河トラフは一体化しちょって
西伊豆のこの神社の岬はちょうど境目の線上にある。
やき隆起するがやろう。
富士山もこの延長線上にあるき。富士山も高知の南海地震と密接に関わっちゅうやいか。

これは科学的データに基づく分析やけんど
昔の人は引手力という神さまが高知から伊豆へ土地を引っ張っていったと考えた。
当たっちゅうやいか。

何がすごいかって白鳳の大地震の痕跡がここに残っちゅうってこと。
日本書紀では隠されたように、ちょめちょめ年、土佐で大地震が起こって
こじゃんと人が流されましたって書いちゅうけんど
詳しい事は省かれちゅう。封印するために。

伊豆の人が詳しく知っちゅうのに
奈良におった朝廷の人間が知らんはずがない。


とにかく、今度の南海地震が、この白鳳の大地震のように
土地が沈没するくらいの規模にならんという保障はない。

いや、むしろ南海・東海・関東の地震が連鎖するがやないか
という可能性も否定できん巡りになってきちゅう。

そうなったら高知の土地が陥没して富士山がさらに高くなるかもしれん。

そんな大地震になったらおおごと。

もっと抜本的な対策が必要。

古代の瓦と寺院(ひとしひとひらより)

秦泉寺に関連して、上のHPが瓦に詳しい。

高知の不思議と同じような不思議が伊豆にもある。
(7世紀の巨大寺院と寺院群)

とりあえず日吉廃寺(沼津市役所)だけリンクしちょきます。


京都の古代寺院については下記が詳しい。
遷都以前の古代寺院(フィールド・ミュージアム京都)


下記は香川の古代寺院について
古代寺院の瓦(香川県立五色台少年自然センター)
ここに書かれちゅうような、まず畿内で仏教文化が花開いて
地方に広がっていったという図式は
土佐と伊豆の古代寺院を見たら、全く間違った認識であることがわかる。


下記は和歌山。
紀州の古代寺院(和歌山県立博物館)


ほんで岡山。
岡山市の文化財探訪5(岡山市 企画局 )



ざくざく出てくるね、お次は山梨。
ここはコマやき、ほんまに古代寺院は貴重な文化財やと思う。
保存せんといかんけんど、行政が疎いのか。
寺本古代寺院の保存を(YAMANASHI SHINPOU )
寺本廃寺
(『ウィキペディア(Wikipedia)』)


次に神奈川。
「瓦が語る-かながわの古代寺院」(神奈川県立歴史博物館)



千葉も結構あやしいね。
高知と一緒で古墳群の中に寺院が継続して建設されちゅうき。
房総の古墳と古代の寺(房総風土記の丘資料館)


次はおとなりの徳島
郡里廃寺跡(美馬市)徳島最古
ここはめちゃくちゃ怪しいね。


ほんで愛媛
来住廃寺(松山市生涯学習センター)



とにかく畿内へ仏教文化が入ってきて
そこから地方に広がっていったという日本書紀史観は完全な捏造で
地方それぞれで並列な仏教文化の共有があって
朝廷はそれを統一して権力化しようとした。
こういう図式やね。


タチバナ『ウィキペディア(Wikipedia)』

上記ページにこういう文言がある。

***引用はじめ***
文化勲章は元々であったが昭和天皇が「文化は永遠である」と言い、
咲いて散る桜ではなく、常緑の橘を勲章にしたという。
***引用おわり***

昭和天皇の認識もさることながら
古来より日本では永遠を表すものの代表として
橘が重用されてきました。

ですので、橘と密接に関係しちゅうところが
邪馬台国と密接に関係しちゅうということですね。

常緑樹ですね。

日本神話では磐長姫がこの橘に相当しますが
此花咲耶姫が桜に相当します。

大和朝廷は国民を欺くために桜を用います。
散って果てるのが人間の最高の姿であると。

それは日本神話の時代から
邪馬台国を封じ込めた時代から使われ続けてきたロジックです。

国家神道もそういう勢力によって創作され
現在の自民党の強行採決政治も同じ流れにあります。

日本では野放しにしておくと何度でもこの勢力がよみがえります。

橘の現在の有名な産地は徳島ですね。
徳島も邪馬台国に入っちょったき、それは至極当然なこと。

でも橘を食す文化と神さまを表すように使い始めた文化は高知の南西部から始まっちゅう。

倭国の中心には山海川の文化と酒の文化
そして共立の自由思想と平等主義があったことに注目してほしい。
これと橘が共存するのは高知以外にはないろうと思う。

徳島は卑弥呼と密接に関わっちゅうけんど
徳島だけでは邪馬台国全てを説明することは不可能。


***引用はじめ***
『倭の地は温暖で、冬も夏も・生(野)菜を食する。
(倭国は)真珠・青玉を(産)出する。その山には、丹(あかつち)がある。
・薑(しょうが)・橘(たちばな。または、こみかん)
・椒(さんしょう)・みょうががある。
父子や男女による (区)別がない。
人の性(情)は、酒をたしなむ。
盗窃(ぬすみ)せず、諍訟(うったえごと)はすくない。』
***引用おわり***
邪馬台国の会より)


もともと桜はサの神さまの到達を表す手段として高知では認識されてきたけど
そこへたかおかみ・くらおかみを祭祀する賀茂氏が入ってきて
桜が橘とおなじくらいの神格化の対象になってきたがよ。


天皇自身が邪馬台国の祭祀を重視しても
取り巻きがそれを使って国民支配を画策する。
絶対天皇制を使って既得権益を守り続けようとする。

そして自民党とマスコミは
無能と洗脳で国民を愚弄し続けゆう。

しかし、橘である”土佐の自由主義”は
時代が変わってもその泉は絶対に枯れることがない。

やき、気枯れない、穢れない。

物部川も昔は鏡川と呼ばれよったらしい。

高知には鏡川、鏡村、香我美郡(今はないか)
カカミがいっぱいある
これは自分の姿を投影する銅鏡の本質と同じ。

それが偉大なる君、おおきみ制につながっていったがよ。


橘こそ気枯れない常世の国の象徴。

それと鰹木、イサナ(鯨)がつながった高知が
神社発祥の地になるのは必然やろうと思う。


そして岩。

唐人駄馬からつながる高知の巨石文明は
橘信仰を生み出す土台になった。


でもその唐人駄馬の遺跡も高知県庁が破壊した。

今でも高知市内の新堀川を破壊し続けゆう。

善を叫びながら人々を支配し、戦争に導く人間の精神構造は
時代が変わっても同じ。

何かを認識する脳内回路がないということやろう。

橘と桜

この2つは私たち日本人にいろんなもんを投げかける。




難升米『ウィキペディア(Wikipedia)』

土佐の邪馬台国から魏に使いが出されたがですけど
それが難升米さん。

魏から黄幢(黄色い旗さし)をいっぱい持ち帰ってきたがやけんど
高知には『黄旗神社』がいっぱいある。(場所は秘密(笑))
ひとつやふたつやない。

黄幢に関しては下記の方が詳しい。

黄幢って?(猪瀬メモさん)


何回も言うけんど、日本の神社を格付けした平安時代の延喜式は
アメリカの格付け会社がやるような歴史の書き換えと浅薄な思想が根底にある。
本当の歴史は全然違うところにある。


その難升米さんが黄旗を持って帰ってきて
日本のオサバイさん(土佐のサの神祭祀)が
くっついてできたのが、こいのぼり。

高知で最もこいのぼりが盛んなところに黄旗神社がある。

それが八幡信仰につながっていくのも必然の流れ。

宇佐八幡は高知の宇佐を封印するために建設されたがで。
高知の宇佐八幡は今でも天沼矛と猿田彦(天狗)が祭りをしゆう。

高知県土佐市 宇佐八幡宮秋祭り(高知の祭り)

こっちが本家本元やってことは一目瞭然。
高知の宇佐はほんまに”佐”がすごいところ。

貝掘りも有名やし、なんせ仁淀川の河口が近い。
神武東征で出てくる宇佐津彦、宇佐津姫はここの出身やし。

神武は土佐で即位

すぐ南には青龍寺がある。

青龍は魏で使われちょった年号で
ちょうど卑弥呼が魏に使いを送った時の頃の年号。

高知には銅鏡や銅剣を神社で代々継承してきたところが結構ある。

これはかなりすごいこと。
これは明らかにそういう文化的素地があったってことやし
それが高知県全域に広がっちゅうってことは
弥生時代から高知の神社は存在しちょったってことの証。

都左に降り積もった様々な文化

日本最古の神社は三輪神社と言われちゅう。
高知の神社のほとんどがそれよりも古いということは調べたらすぐにわかる。

結局は神話上でも奈良は大国主と少名彦名が創っちゅうし。

その出元は完全に高知。
少名彦名は大洲。

封印は解かれるためにある。

後ろの正面は高知やし。

島本さんが土佐人の物語をブログに書かれています。

土佐人の物語

土佐人の物語2

土佐人の物語3

おもしろいですよ。

高知は古代、都左国、波多国の2つの国がありました。

都左は縄文時代より続くサの神を奉祀するサの都でした。

波多は秦氏を中心とした大陸の新しい宗教や文化を丸ごと持ってきた
渡来人の国でした。

しかし、なぜ秦氏が高知南西部に大量に渡来し国を創っていくのか?

それはもともとユーラシア大陸全域に
ユーラシアの東の果ての島には
龍の形をした日出ずる国があるという認識が広がっていたのでしょう。
(当時は飛行機がなかったから上空から地上を俯瞰できなかったというのは間違いです)

龍信仰を遡ると古代シュメールに行き着きますが
(中国ではない)
その信仰と縄文文化というのは
ものすごく親和性の高いものでした。

イザナギ・イザナミ神話は高知で生まれたもので
特に高知南西部が密接に関わっていることを指摘しておきたいと思います。

しかもそれは唐人駄馬遺跡との連続性が確認できるので
ものすごく正当な縄文時代からの歴史があるわけです。

やき、高知南西部には高速を通したらいかんし
基地も絶対にだめ!開発は絶対にだめ。

そこを目掛けて秦氏は大量にやってきたがです。

基本的に秦氏は宗教的な民族ですが
融和を好む文化的な民族です。

ローマや唐(?)の拡大によって
国を捨てて大挙として日本にやってきたがです。

高知県人の酒好きはこの秦氏の影響も多分にあります。

結局、秦氏は南西部から中心部の秦泉寺に到達し
古代より続く都左の邪馬台国との結合が果たしました。

それが大和です。

シュメールからの渡来人は弥生時代の早い段階で
高知の東部で縄文との結合を果たしました。

それが物部氏です。

高知中部にはペルシャの文化が入ってきて
北辰信仰が縄文の星信仰(七夕)と重なっていきました。
七夕信仰の古い形は高知の西部に残っています。

龍馬は北辰一刀流です。

この他、仁淀川のシリウス信仰は賀茂氏と深く関わり
縄文のオオカミ信仰とくっついていきます。

ヒミコの鬼道とはこのオオカミの霊を呼んだりするものです。
これと中東の獅子信仰が結合して神社の狛犬が生み出されちょります。
神社は高知で生まれてます。

カツオ木のある神社(高知市歴史散歩)
高知市歴史散歩 トンボ信仰
サの神さまとヨサコイ 



坂東 眞砂子さんが今年、鬼神の狂乱という本を出されていますね。
昨日本屋で発見しました。

この中で狗神憑きについて書かれていますが
(今までも色々と狗神については書かれていました)
舞台となっている大豊町付近は島本さんが書かれているように
卑弥呼往還ですね。

大豊町は日ノ御子の裏側に当たりますので
裏卑弥呼と言ってもえい場所です。

チャンネルが合うたら危険な状態になるとは思います。

それだけ高知には磁場が多く存在します。
下手に開発したらいかんし、今まで経済成長できんかったのも
理由があるがです。

しっかりと自然と調和した経済システムを作り上げる必要があります。


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