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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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460年(雄略天皇4年)天皇 < 一言主   (古事記説)    712年成立
             天皇 = 一言主   (日本書紀説)720年成立
             天皇  >一言主   (続日本紀説)797年成立 ≪一言主流刑説勃発≫


上記のように712年以前は一言主が天皇よりも権威を持っていた。


675年 土佐大神(土佐高賀茂大社) 神刀一口 天武天皇に献上

686年 秦石勝が天武天皇の病気平癒を祈願
     

710年に都が平城京に遷都した時、一言主は遷都した元明天皇自身よりも
間接的に権威を持っても良いという存在であったのである。


土左大神=一言主とするのは、まだ議論が必要だが、少なくとも当時の土佐高賀茂大社に
天皇の権威を超越する神が存在したという点において一言主神を便宜的に使用する。



797年の続日本紀において初めて一言主神の流刑が言及された背景に、天皇が一言主よりも権威を持つようになったというパワーバランスの変化があったことは疑いようがない。


現在の土佐神社の祭神は、土佐風土記逸文にもよるもので、少なくとも古事記成立時の712年
あるいは、元明天皇が風土記編纂の命を713年に出したとしても、その当時の時点で


一言主は土佐の土着の神であり、天皇よりも権威を持っていたということは
100%、公然の事実であったのである。


そして
オオナムチ - アジスキタカヒコネ(迦毛大御神)
        シナネ神
        一言主
        土左大神   -    天河命 - 浄川姫
                    葛木男 - 葛木


一言主は賀茂氏の祖神であり、アジスキは迦毛大御神という

大御神は天照と迦毛の2神だけであり
天皇よりも権威を持つというのは自然の理ということができるだろう。



都佐国造が祀る神に、後に賀茂氏が大和から流れてきて一言主神等の神格を与えただろうという説が一般的だが、そうであれば天武天皇が神刀一口を土左大神から受け取る以前に賀茂の本体が大和から土佐に遷り土着したという記述が古事記になければいけない。


以前にも書いたが、レガリアの本体(神刀の魂)が、大和の葛木山に存在するならば、天武天皇は都から近い大和葛城山からレガリアを受け取れば良いのではないか?


それに対する一般的な答えは、”いや、一言主は土佐に配流されたから”である。



しかし、古事記が編纂された元明天皇の時代には



一言主配流説は存在せず



土佐国風土記に


土左の高賀茂の大社あり、其の神のみ名を一言主尊と為す。
土佐の高賀茂大社に一言主尊



と書かれているのである。



風土記に記すべき内容として下記の五つが挙げられている。
  1. 郡郷の名(好字を用いて)
  2. 産物
  3. 土地の肥沃の状態
  4. 地名の起源
  5. 伝えられている旧聞異事

だとするならば、風土記が編纂される時点で
大和から賀茂氏が土佐に移住し一言主を祀ったのであれば
そのことを記載しなければ風土記の意味がないはずである。


しかも、天皇よりも権威を持つ迦毛大御神について
土佐に一言主あり(いにしえ大和葛城山からうつりし)
などという中途半端なことが許されるはずがない。


大和葛城山から移ってきたのであればその経緯を記載しなければならない。


それがないというのであれば一言主は土佐土着の神であるという結論にしか達さない。


風土記は散逸しているから、その部分は喪失しているというのであれば
天武天皇は大和葛城山から賀茂のレガリアをもらえばよかったはずである。



シナトベが女神であるから、シナネは風の男神ということになる。

龍田大社においては天御柱がシナツヒコ
伊勢神宮に至っては『神風』を吹かせた風日折宮



アジスキも一言主もシナツヒコも”口”をキーワードにひとつにつながっている。


つまり、これらはギリシャ哲学でいうところのプネウマ【存在の原理】を意味している。

英語ではスピリット、インドではプラーナである。


賀茂氏は海神族であるから風の神(シナネ、シナツヒコ)を祀るのは当然であろうし

一言(風)が、善事も悪事も一切吹き飛ばすというのは真実である。
台風は善でも悪でもない。あるいは善であり悪でもある。
台風銀座の土佐が一言主の出元であるというのは地形的必然である。

アジスキタカヒコネが高天原からの息とするならば
滋賀県の彦根と伊吹山の関係もそういう意味で捉えなおす必要があるだろう。


地震や噴火を神の御業としていたならば、台風も神の息と捉えていただろうことは自然の帰結。



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