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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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①酒に酔う

②異性に酔う

③自分に酔う

④富・名声に酔う


①の”酒に酔う”が、飲酒運転⇒事故につながらなければ、誰の迷惑にもならない。

②の”異性に酔う”は、つきまとい行為につながらなければ、かわいいもんだ。

③の”自分に酔う”は、誰も相手にしなくなれば、マウンティング行為も自然になくなっていく。

④の”富・名声に酔う”は、非常に大迷惑な話であり、社会にとって害悪な行為である。支配、権威主義、パワハラ、ブラック企業、社畜、etc


日本人にとってネガティブなファクターはまさにこの部分から派生している。法の下の平等の概念を犯しているのだから、警察は常に検問をしなければならない。


まずは、

【一極集中や中央集権】などという法の精神から大きく逸脱した認識をもった人たち


の取り締まりを強化すべきである。


つまり、まず、東京を逮捕すべきである。




それが法治国家としての筋である。


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本来、資本主義は、家内制手工業からマニュファクチュアに発展してきたものであり、地域や社会というものが前提に存在し、いかに効率よく分業を行うかに重点が置かれていた。日本においては、この時点で”儲かる”という概念は、一部の商人に限られていて、自分の”技”を使って、分業に寄与・貢献し、その結果返ってきた対価を受け取る、というのが普通の考え方であった。


それが戦後資本主義が増大するにつれて、”儲けるのは当たり前”、”仕事だから仕方がない”、”大人になるということはそういうことだからしょうがない”というような非論理的なロジックを一般の日本人(特にリーマン)は、使用するようになった。


その、”しょうがない”、”仕方がない”という意味の言葉が実は土佐弁にはない



その替わり、”ざっとしたことすな”という土佐人が多用する言葉がある。



”適当なことをしないように”というような意味で説明されるが



土佐人自体が適当でおおざっぱであるにも関わらず、適当なことをするな、というワードを強調はできないはずである。



”ざっとしたことすな”の心性を分解していくと、地域社会を前提とし、ひとりだけ儲かったり、誰かを出し抜いて先んじたり、順番を守らなかったりするなどの行為に対して、拒否反応を示すことがわかる。



つまり、土佐弁が赦している資本主義経済発展の最高形態は家内制手工業であり、



江戸時代末期まで土佐藩が雄藩だった理由は、土佐弁にとっての資本主義最高形態がそこであったからなのである。



従って、高知県が戦後の経済発展に遅れた、という見方は誤りであることに気付く。遅れたのではなく、あえて選択しなかった、土佐弁自体がそれを選択させなかったということなのである。


高知県人が”進取の気質に富む”というのは、高知県の歴史年鑑にも公式に記載されている性格である。


安田町の野村茂久馬が戦後の早い段階でフォードと提携しようとしていたり、高知自工のトクサンという3輪大型トラックが関係者から垂涎の的であったりとマニュファクチュアの前哨部分までは土佐弁によって赦された土佐資本主義はよく機能していたのである。




”高知家”というのは、そのような発想から出てきたものであり、高知県民がそれを追認しているのは、大方、土佐弁の意識から乖離していないから、多くの土佐人はそれを批判しないのである。



逆に言えば、神話の時代から全く県境が変わっていなくて、その最終形態が土佐藩であり、国家として統一されたけれども、なぜか戦後資本主義(および工場制機械工業)も潜在的には受け入れてないのであるから、日本が戦後資本主義を乗り越えようとする時、土佐弁の精神を理解し、江戸の持続可能な社会を再生しようとするのは理に適った行為ということになる。





別の視点からも見てみよう。


台風や地震が来て高知がなくなったらどうする?という質問を土佐人にすると


”来たら来た時のことよ!”


という答えがだいたい返ってくる。



これはかなり適当である。準備をするとか備えをするとかの感覚がないことがよくわかる。



しょうがない、仕方がない、と受け入れるのではなく、明日のことなんか知るかよ、今日の酒がうまかったらそれでえい。というような精神がありありと出ている。アリとキリギリスで言えば完全にキリギリスではないか。高知家総キリギリスなのである。



ただ、本来、日本人全体としてもそういう傾向が強かったにも関わらず、”コツコツ”や”一生懸命”という新しい価値で日本人を統制しようとした薩摩や長州の狙いは一体どこにあるのだろうか?


土佐は常にオルタナティブであり、古い日本人のタイプである。



長宗我部元親は織田信長と提携をし、信長が目指した帝国主義ではなく連邦制を目指したし


江戸末期においても薩摩や長州が目指した大日本帝国ではなく、植木枝盛の思想にも代表されるように連邦制を志向し、自由民権運動を展開したし


戦後においても帝国支配主義的なグローバリズムではなく連邦制的資本主義を目指したとも言える。ただ、長宗我部元親や坂本龍馬が時のメインストリームと対決したような構図は、今の土佐には薄い。


しかしながら、歴史を俯瞰すれば過去、何度もそうであったように、グローバル資本主義と対決する思想がこの高知から産まれ、それがまた連邦制を志向するのは、歴史的必然でもある。



その連邦制が過去に一度だけ成功したことがある。それが邪馬台国である。土佐人は当然、そこに戻ろうとするし、周辺地域の古い人たちもそれを感性で理解できないわけではない。しかし、それはあまりにも古く、歴史的にも証明されていない。



しかし、この仮説は、いつの時代も真実味を帯びる。



では、なぜ流刑の地とされた辺境の地、土佐から国を揺るがす思想が生まれてくるのか?


中央から土佐に要人が流されてきたからだ。という仮説にはうんざりである。前回の一言主の例にも掲げた通り、それはあまりにも非論理的過ぎて馬鹿げている。




船が主要な交通手段であった時代、南に向かって広く広がっている”九十九洋(つくもなだ)”と呼ばれた土佐湾を眼前に持つ土佐が【帆船時代の首都】であったことは、小学生でも容易に想像がつく。その容易な想像ができないほど、日本人のIQは落ちるところまで落ちているのである。




先日、長野県に行った時に、武田勝頼が土佐に落ち延びたという話をしたら、普通に知っていた。もはやオフィシャルになりつつあるのだろうか。こちらが驚いた。


460年(雄略天皇4年)天皇 < 一言主   (古事記説)    712年成立
             天皇 = 一言主   (日本書紀説)720年成立
             天皇  >一言主   (続日本紀説)797年成立 ≪一言主流刑説勃発≫


上記のように712年以前は一言主が天皇よりも権威を持っていた。


675年 土佐大神(土佐高賀茂大社) 神刀一口 天武天皇に献上

686年 秦石勝が天武天皇の病気平癒を祈願
     

710年に都が平城京に遷都した時、一言主は遷都した元明天皇自身よりも
間接的に権威を持っても良いという存在であったのである。


土左大神=一言主とするのは、まだ議論が必要だが、少なくとも当時の土佐高賀茂大社に
天皇の権威を超越する神が存在したという点において一言主神を便宜的に使用する。



797年の続日本紀において初めて一言主神の流刑が言及された背景に、天皇が一言主よりも権威を持つようになったというパワーバランスの変化があったことは疑いようがない。


現在の土佐神社の祭神は、土佐風土記逸文にもよるもので、少なくとも古事記成立時の712年
あるいは、元明天皇が風土記編纂の命を713年に出したとしても、その当時の時点で


一言主は土佐の土着の神であり、天皇よりも権威を持っていたということは
100%、公然の事実であったのである。


そして
オオナムチ - アジスキタカヒコネ(迦毛大御神)
        シナネ神
        一言主
        土左大神   -    天河命 - 浄川姫
                    葛木男 - 葛木


一言主は賀茂氏の祖神であり、アジスキは迦毛大御神という

大御神は天照と迦毛の2神だけであり
天皇よりも権威を持つというのは自然の理ということができるだろう。



都佐国造が祀る神に、後に賀茂氏が大和から流れてきて一言主神等の神格を与えただろうという説が一般的だが、そうであれば天武天皇が神刀一口を土左大神から受け取る以前に賀茂の本体が大和から土佐に遷り土着したという記述が古事記になければいけない。


以前にも書いたが、レガリアの本体(神刀の魂)が、大和の葛木山に存在するならば、天武天皇は都から近い大和葛城山からレガリアを受け取れば良いのではないか?


それに対する一般的な答えは、”いや、一言主は土佐に配流されたから”である。



しかし、古事記が編纂された元明天皇の時代には



一言主配流説は存在せず



土佐国風土記に


土左の高賀茂の大社あり、其の神のみ名を一言主尊と為す。
土佐の高賀茂大社に一言主尊



と書かれているのである。



風土記に記すべき内容として下記の五つが挙げられている。
  1. 郡郷の名(好字を用いて)
  2. 産物
  3. 土地の肥沃の状態
  4. 地名の起源
  5. 伝えられている旧聞異事

だとするならば、風土記が編纂される時点で
大和から賀茂氏が土佐に移住し一言主を祀ったのであれば
そのことを記載しなければ風土記の意味がないはずである。


しかも、天皇よりも権威を持つ迦毛大御神について
土佐に一言主あり(いにしえ大和葛城山からうつりし)
などという中途半端なことが許されるはずがない。


大和葛城山から移ってきたのであればその経緯を記載しなければならない。


それがないというのであれば一言主は土佐土着の神であるという結論にしか達さない。


風土記は散逸しているから、その部分は喪失しているというのであれば
天武天皇は大和葛城山から賀茂のレガリアをもらえばよかったはずである。



シナトベが女神であるから、シナネは風の男神ということになる。

龍田大社においては天御柱がシナツヒコ
伊勢神宮に至っては『神風』を吹かせた風日折宮



アジスキも一言主もシナツヒコも”口”をキーワードにひとつにつながっている。


つまり、これらはギリシャ哲学でいうところのプネウマ【存在の原理】を意味している。

英語ではスピリット、インドではプラーナである。


賀茂氏は海神族であるから風の神(シナネ、シナツヒコ)を祀るのは当然であろうし

一言(風)が、善事も悪事も一切吹き飛ばすというのは真実である。
台風は善でも悪でもない。あるいは善であり悪でもある。
台風銀座の土佐が一言主の出元であるというのは地形的必然である。

アジスキタカヒコネが高天原からの息とするならば
滋賀県の彦根と伊吹山の関係もそういう意味で捉えなおす必要があるだろう。


地震や噴火を神の御業としていたならば、台風も神の息と捉えていただろうことは自然の帰結。



土佐史談192号に”「賀茂之地」はどこか”項(橋田氏作)がある。

ことの発端は『釈日本紀』にみられる”初め賀茂之地に至り、後に此の社に遷る”の一文である。

此の社が、現在の土佐神社であることは誰もが認めるところだが、初めの賀茂之地が問題なのである。

①戦国に生きた谷忠兵衛は、須崎の賀茂神社をその比定地としている。

②鹿持雅澄は、入野松原に設定している。

③竹崎五郎氏は、高知市鴨部をその比定地としている。

④伊野部重一郎氏は、入野の賀茂神社をその比定地としている。

⑤前田和男氏は、宿毛の平田あたりという説を展開している。


これらをまとめる形で橋田氏は、⑥入野の北、加持の三島神社を”初めの地”として設定した。

なかなかの推理である。


国造本紀には、都佐国造のルーツは三島溝杭とされている。

三島信仰を巡っては、伊豆と瀬戸内がそのルーツで過去、争いを起こしている。

ただ、静岡の方は、三島が3つの島を信仰するような形態に移行していること、瀬戸内のほうは、三島をそもそも神島と書いていたことからも、少し対象が異なっていたように思う。

これらに対して、土佐の三島信仰が、そのどちらから来たというよりも
以前書いた、海に沈んだ土佐沖の大陸への信仰としても面白いのではないかと思う。


津野・梼原町近辺に存在する三島神社は、普通に考えれば、伊予からの勧請とするだろう。

しかし、須崎周辺に存在する集落消滅伝承と三島信仰が大地震後、加持や津野町のほうに徐々にせりあがったことも可能性としてはないわけではない。


いずれにしても賀茂之地が波多国から都佐国に遷ったというのは可能性としてはかなりあるだろうということである。

律令制以前は、都佐国よりも波多国のほうが先進地域であったとするのは論を待たず、その後、斉明天皇が高知市の朝倉で行宮をこしらえるに至る、この100年ほどの間の激動はいかばかりかと思うほどである。



伊都多神社 - 御祭神は三嶋神が龍神から救った三姉妹の一人か


おんちゃん言うように高知のイズタ神社が3姉妹で、イズナヒコが一言主なら
イズナヒメ、イコナヒメとは一体だれなのか?という大問題が浮上してくる。

ちなみにイズノメはかなりの埋没神である。

そもそも、土佐沖にあった島が3島でそれぞれ沈んだ場所を後世に伝えるために3つのイズタ神社を作り、賀茂之地を入野から高知市内に移した。このタイミングが、ひょっとすると全て白鳳の大地震直後であった可能性も否定できない。


3つの島が連なっていたとすると、黒潮町沖、須崎沖、浜改田沖だろう。

三角型のピラミッド山を信仰していた賀茂一族が3つの島を信仰するのは、自然の理に適っている。住吉信仰もこれであり、古くは三体妙見も、そうである。


黒田、黒崎、黒鳥から見えてくる土佐初期大和王権


でも書いたように、自分の仮説は
675年に土左大神が天武天皇に神刀一口を献上した時の土佐高賀茂大社は、沈没した黒田郡にあったのではないかということである。


つまり釈日本紀に見られる「賀茂之地」とは


⑦白鳳の大地震で沈没した黒田郡である。


としたい。



日本人が神を崇拝する性向は、江戸時代は〝ショーグン〟へ向けられ

明治時代からは〝キンダイカ〟へ向けられ

戦前は〝天皇陛下〟へ向けられ

戦後は〝カイシャ〟へと向けられた


〝中央集権〟と〝東京〟という価値が崩壊した今

〝カイシャ〟へと向けられていた信仰の対象は

嗅覚の鋭いニュータイプの日本人によって

〝イジュウ〟へと付け替えられてきた。


一方で、社畜、ブラック企業、集中型システム、官僚、55年体制などの古い価値観は断末魔の叫びをあげている。

決して自民党が悪いわけではない。自民党を含めた社会の構造が古いのである。


〝イジュウ〟という語に込められた意味は死に絶え、新たな概念が産まれようとしている。

ただ、その概念に当てはまる日本語はまだない。


われわれは、この構造に〝名〟を与え、この構造を信仰対象にしなければならない。

いつの時代もわれわれ日本人はそうすることによって国難を乗り越えてきた。



表題のテーマを説明するとき裏側に存在する

高知の無限とは何か?を説明することによっても解は同じになる。

表題の解は非常に回りくどいが、後者の解はいたってシンプルなものである。

江戸時代まで日本人は持続可能な無限の生き方しか知らなかった。

それを無理に捨ててなければ、それが〝東京の限界〟に対する強烈なアンチテーゼになる。


それが2割の土佐人の生き方・哲学ということになる。


つまり、明治時代の日本人が修正したかった、あるいはGHQが徹底的に排除したかった循環型の思想哲学、大和の3点支柱の思考方法、支離滅裂の無限さについてもっと追求してみる価値はある。


西洋の文明が限界を迎えたのは、その哲学的思考にある。


だからと言って、東洋思想が正しいというような安易な結論には当然、達しない。


東京の限界と高知の無限がアウフヘーベンすることによって、新たな時代が幕を開けるのである。

従って、高知へのUターン者が高知の無限の本質を知る・体現していなければアウフヘーベンなど出来るはずがないのである。
結局はお金、結局は、大企業。結局は、資本主義、結局は大都市、都市化、高速道路、飛行場。と考える東京を中心とする中央集権戦後資本主義にぶら下がった8割の方の高知県人とつながっても面白くないのは当然である。

高知に移住して来る人たちは東京に限界を感じ移住して来ているにも関わらず、成長のベクトルを東京、つまり戦後資本主義にロックオンしている人間と話してもおもろい訳がない。

なぜ、高知がおもろいのかというと、戦後資本主義の発展に乗り遅れたから。これは結果であって、原因ではない。原因は、全国的に戦後日本人は資本主義思想に飲み込まれたが、残りの2割の土佐人は、それには飲み込まれなかったのである。それは単に情報が少なかったということではなく、知的レベル、思想レベルで戦後資本主義の不完全さに対抗し続けたのである。


それを可能にしたのが、酒であり、おきゃくであったのは至極当然な成り行きである。


生来の土佐人はとにかくしつこい。人生は金ではない、と言い始めたら何年も同じことを言っている。お金がなくなっても言っている。まるで、武士は喰わねど高楊枝の世界である。恐らくモノノフの発祥も土佐ではなかろうかと思う。だがこういう人間が面白い。なんでそういう思考回路になるのか?予想をはるかに超える行動原理を持っている。

土佐人のロボットを作るのは不可能である。支離滅裂であり、むちゃくちゃだからである。

ジェームス・ジョイスがあちこちを歩いている。しかし、そこには、深い哲学がある。

日本国が2.0の社会に移行する時、起動力を必要とする。起動力とはモーターを一回回すだけでなく、二回、三回と連続して回す力のことである。わけのわからない熱狂。起動力に論理性は必要ない。

トランプ大統領は、2割の方の土佐人にいそうなタイプである。支離滅裂だが起動する力を持っている。


東京から地方に移住して地域を変えてやると意気込んでも地域は絶対に変わらない。上から目線でやればやるほど、モーターは空回りする。


高知の場合は、いかにこの2割の土佐人と深く繋がるかが成功の鍵となる。残りの8割は当然、起動すらしない。起動する根拠を持たないからだ。一人でどれだけ深く土佐に潜水できるかだ。2割の土佐人も常に1人だ。だからこそ、おきゃくと返杯がこの上なく楽しくなるのである。
先日、Oさんと話したのだが、移住者と現地の人をつなぐUターン者がもっと機能しなければならないと。

もともと、高知はまとまりのない、自由な個人の集団だが、主張は違ってても飲みに行きたがる傾向と心性は共通している。

つまり、高知市がコミュニティの同調圧力が比較的低い都市とは言っても、その伝統には深い理由がある。

日本人が自由を連想するとき、そこには、西洋人が教会や信仰でつながった上での自由は連想しえない。キリスト教をベースとする西洋社会でいうところの自由とは、つまり、キリストの根幹を揺るがす自由はない。裏を返せば、キリストを認めてさえいれば、どんな自由も認められるのである。どのような社会でも、当然、このようなひとつ以上の制限がある。


それが限りなく少なければ自由社会になり、制限が多ければ多いほど独裁社会となる。


では、日本で制限が極限に少なくなり、自由が最大化された社会とはどのようなものか?


これを考えると、なぜ日本人が西洋の〝自由と民主主義〟を理解できないのかを知ることができると同時に日本人にとっての〝自由〟とは何かを知ることもできるのである。


ここで高知における〝自由と制限〟について考えてみよう。


これは、飲みの席で最も顕著である。それぞれの主張は認めても返杯を拒むのは認めない。

この文化を考えていくと面白い。返杯を大量に飲んでも主張が弱い場合も良しとされない。

つまり、自由への圧力とコミュニズムの圧力が同時に働いていることになる。

〝けんど、おまんそう言うてもわしはそう思わんぜ〟と顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら〝おきゃく〟の席で激論する光景、高知の人間なら一度は目にしたことがあるだろう。

それが偶然の産物ではなく、必然の産物であったとしたら、そのルーツはなんなのか、ということになる。主張を半ば強制的にさせて酒の返杯によって同志意識を植え付け、唾と踊りで融和させていく。

しかも、その主張が老若男女、最終的に政治的なものになっていくのはなぜなのだろうか?

これこそまさに多くの異文化の渡来人が住み着き、大同団結して大和國を作った日本の国家始原そのものではないか。

現在の高知には、王という存在はいないが、古代、王は酒であり、酒は王であった。酒解神というのもそれである。愛媛県の一ノ宮に祀られるオオヤマツミである。


高知の山間部に行けば行くほど、酒で死ねたら本望、という思想が濃くなってくる。これは、自分の命よりも酒解神が自分の命の運命をも決めるという運命論に似ている。ギリシャでいうところの運命の三女神に命を預けるということである。


これらを考えていくと色々なものが見えてくる。日本人が認識するところの〝自由〟とは、コミュニズムが強力に働く下での制限された〝自由〟を意味する。つまり、西洋人が宗教的政治的権威から逃れるために作った〝自由と民主主義〟・〝法と近代国家〟などの形而上の概念は明治時代の日本人ならまだしも〝問う〟ことを忘れてしまった戦後の日本人の腑に落ちるわけがないのである。


明治時代の日本人も150年後の日本人の知性レベルがこれほどまでに低下するとは予想だにしなかっただろう(しかし、白洲次郎は見抜いていた)。


ここで何回か紹介もしたが、世界を放浪してなぜ高知にたどり着くのか、という原因の中に〝結局、俺は日本人だから〟という諦めにも似た言葉がある。自分もヨーロッパに長いこと行っていて帰りの飛行機で日本人の集団に出くわした時の安堵感は異様なものだった。思考ではこれほどまでに戦後の日本を軽蔑しているにも関わらず、民族としての肌感覚は安堵をもたらしたのである。


日本人として他者との繋がりが楽しく濃いところに住みたい、と同時になんでもかんでも主張したがる西洋的な人格になってしまった自分を放棄できない、を満たす土地は、日本では、ここ高知しかない。


話しを最初に戻すと高知のUターン層は、大学卒業後と定年後という2層しかない。意識高い系の中間層は是非、帰還すべきと考える。8(中央集権にぶら下がった組)の方ではなく、2(常識を覆してる系)の方につながらないと高知は面白くない。→高知ニッパチの法則
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