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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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土佐神社の祭神はアジスキタカヒコネとか一言主とか言われるけんど、近くに住みよった自分らあは、しなね様としか言いやあせんかった。

しかも、しなね様は女の神さまっていうがは、誰に聞かされたわけでもなく、近くに住みよったらなんとなくわかること。

下記にはしなね様の根源とも言える『しなとの風』について言及がある。
前にもリンクした素晴らしいサイト

中世土佐の宗教

***引用はじめ
「しなとの風」は、いっさいの罪やけがれを吹き払う風とされている
***引用終わり

らしい。

実はこのしなとの風は男女一対の神とされていたようですが

愛媛の佐田岬の先、大分県の早吸日女神社には椎根津彦を祀る椎根津彦神社もある。

早吸日女神社の公式ホームページ

もし仮にこの椎根津彦神社と土佐神社がセットであれば、土佐神社のしなね祭は、速吸瀬戸から足摺岬(旧佐太岬)を廻って浦戸湾に入る壮大な風祭だったのかもしれん。

実はかなり以前に神武東征は高知県を通過し、ウズヒコが足摺から高知市中心部まで案内したという記事をどこかで書きましたが、椎根津彦神社の
珍彦命はそのウズヒコであったらしい。

しなとの風文化を持つシナノの諏訪大社も『風と水』を祀っているらしい。早吸日女神社と椎根津彦神社のセットもそうであるし、土佐神社もそうやろう。

しかし、現土佐神社の船渡し神事は風が吹かない鳴無(おとなし)神社から出発する。これに神武東征記を重ね合わせてみると、色んなことが見えて来るのではないかと思う。


伊勢神宮には風宮『ウィキペディア(Wikipedia)』があって、元寇を撃退した神風の出元とされたわけですが、土佐神社・風の女神説が正しければ土佐神社に椎根津彦を入れることによって土佐から神風が吹くということになると思う。


これはまんざらでもなく、坂本龍馬も『日本を今一度、洗濯いたし申し候』と言うちゅう。これは前述した『しなとの風』の本質と酷似しちゅう。

神武天皇に封印された『しなとの風』が幕末に吹いたっちゅうことは、論理的には今でもそれができるということやろうと思う。



第2室戸台風『ウィキペディア(Wikipedia)』

最大風速は室戸台風が過去最高を記録して、最大瞬間風速も第2室戸台風では84.5m/s以上を振り切って風速計がぶち壊れたらしいき、日本一やった可能性は高い、だからというて別に勝ち負けの問題でもないけど。

室は穴という意味とか神が出てくる場所みたいな意味があるらしい。風の女神ともとれるかもしれん。


しなね祭は、ほんまは台風を祀る祭りやったかもしれません。太陽神と北極星を祀る七夕神事という側面と風の神を祀る台風神事の側面があったわけです。


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自然の力を感じる力
 文明化が進んできたせいで、人間横着な人が増えましたね。風を恐れない。または必要以上に恐れる。

 15メートル以上の風が吹けばまっすぐには歩けません。まして30メートルの風は危険。

 台風が近づいてきているのになぜか外出して転んで頭を打つ人。風が強くなってから屋根を登って煽られ転落する人。

 意外にも人生経験豊かなはずの高齢者が多い。それは自然をなめているからでしょう。

 わたしの場合はヨットで遊んでいるので、風を読むことは多少できます。
 観天望気は地元の漁師さんに習います。「山の上に白い雲が出て晴天の日は、ドン吹きだから海へ出るな」と言われました。
 
 それは冬型の気圧配置。日本海側と山間部が大雪なのです。当然強い北風が吹きました。

 沈して流され、救助されたので、体で覚えました。
けんちゃん URL 2009/05/29(Fri)08:40:25 編集
Re 自然の力を感じる力
>台風が近づいてきているのになぜか外出して転んで頭を打つ人。風が強くなってから屋根を登って煽られ転落する人。

毎年、おりますね。おっしゃる通り、自然をなめてると思います。現代文明は火も水も蛇口をひねればすぐに出てきます。風雨をしのぐ家も簡単に手に入る。

自然の脅威というもんになかなかふれられんき、忘れてしまうがでしょうね。ほんで様子を見に行ってこける。最悪、命を落とす人もおる。

もっと自然と息吹を感じる文明に戻さんといけませんね。

それは新堀川にふたをするがやのうて、堀を復活させることにもつながります。

自然を知らんもんは自然を簡単に壊そうとします。
ナカちゃん 2009/05/29(Fri)17:50:29 編集
しなねさま
はじめまして
朝倉神社の天津羽羽命がしなね様という仮説を立てると、色々見えてきて興味深いです。
皆山集では、賀茂大神の妃ということになっていますが、イワト様(天石門別安國玉主天神社=手力男命 )の娘神でもあります。

天津羽羽命は気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社の祭神でもあり、風の神との繋がりも見えてきます。

更に、一言主大神は、女神であるという仮説も有りだと思います。神様の性格から、
(能では女神扱いですね)己等乃麻知姫の
ことではないかと睨んでいます。己等乃麻知姫はイワト様の娘神です。
加賀 URL 2011/01/30(Sun)21:09:16 編集
Re 加賀さん
はじめまして!
書き込みありがとうございます。

素晴らしいご研究と洞察力ですね!!

>皆山集では、賀茂大神の妃ということになっていますが、イワト様(天石門別安國玉主天神社=手力男命 )の娘神でもあります。

その説は高知でもたまに取り上げられますが、高知ではそれを信じる研究者が皆無です。仁淀川上流にイワトさんが祀られているのを考えれば、その説は自然と力を帯びてくると思います。

しかも朝倉神社沿いにある鏡川の上流は土佐神社から古道沿いでつながった七淵という天女信仰の土地です。その近くに鏡川の水源の洞窟があり、そこに白山神社があります。白山神社は北極星/玄武を意味しています。

また鏡川は古代朝倉神社の西北あたりで仁淀川とつながっていました。仁淀川は古代、神河(みわがわ)と呼ばれました。その上流にイワトさんがあります。実は、内湾を隔てた反対側の物部川にもイドメ神社という性格の似た神さまがおります。

高知平野の東西南北に四神を置いて都を守る造りになっています。南はもちろん竜王岬の桂浜です。

>天津羽羽命は気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社の祭神でもあり、風の神との繋がりも見えてきます。

そうだと思います。天津羽羽命は本来、白羽の矢のことであり、風がなければ的を射ることができません。古語”ホムタ”は弓の道具のことであり応神天皇のメタファーでもありますので、国栖たちは弓集団であったと思います。国栖はおそらくクルス/クロスであり朝倉神社の南には斉明天皇の御陵ウクルス山があります。

>更に、一言主大神は、女神であるという仮説も有りだと思います。神様の性格から、
(能では女神扱いですね)

能『葛城』での一言主女神説は、伊勢神道にも引き継がれてアマテラスの原型ともなっています。しかし伊勢の地はもともと対神信仰であったため伊勢渡会氏が外宮に女神を切り離して現在に至るというのが裏事情であると思います。

現神社神道のルーツとされる山崎闇斎も20代の頃土佐に長く逗留し土佐神道を学び、後に吉田神道、渡会神道を取り入れ垂加神道を完成させましたのでどちらかといえば女神色が強い復古神道であると思います。

>己等乃麻知姫のことではないかと睨んでいます。己等乃麻知姫はイワト様の娘神です。

それも素晴らしいご洞察力であると思います。己等乃麻知は白羽の矢が刺さる選ばれた土地、人のことを指しており、つまり天孫に選ばれた的の地。つまりヤマトの地を意味する神です。

武蔵国一之宮の瀬織津姫を祀っていた小野神社の前にも大麻止乃豆乃天神社という神社がありまして、そこに丸い泉があったようです。以前記事を書きましたので
http://ameblo.jp/dragon-anasta/entry-10281673333.html

朝倉神社も同じような地形に位置しています。風と並んで水の女神の性格も強いです。つまり『風水』ですね^^

事任八幡宮は諏訪/戸隠を矢で射抜いているといった感じだと思います。

土佐神社から北に矢を射抜くと法皇山脈がありまして、翠波峰に水の神、豊受山に風の神が祀られています。風神を異様に祀っていた天武天皇も即位の時にこの豊受山を奉祭しています。

しかし草薙の剣のたたりにあたって亡くなられてしまいます。亡くなる直前に土佐神社に秦石勝を遣わせてはいますが。。。龍田大社も上賀茂神社も土佐高賀茂社に神刀(草薙剣)を献上させた直後に造っているので色々と問題があったのだと思います。

ちなみに『土佐物語』には斉明天皇が後の天智天皇/天武天皇を引き連れて朝倉に逗留した時のことが結構、詳しく書かれています。もうお読みになられているかもしれませんが^^;

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いします。長文失礼しました。
ナカちゃん 2011/01/31(Mon)13:25:00 編集
無題
大変お詳しいご返答ありがとうございます。
大変勉強になります。昨年四国にはじめて旅行しまして、凄いと感じました。是非また訪ねたいですね。

豊受山は行ってみたいと考えておりましたが、そのような考察をされているとは凄いですね。

天津羽羽命は、事代主命の正妃というのが
定説です。また、御所市の高鴨神社でアジスキタカヒコ命をコトシロヌシ命と同一視しており、そのあたりから、天津羽羽命と土佐神社の祭神が夫婦神であるとしたのだと考えております。

忌部氏や大伴氏に繋がり吉野国栖の祖の父である天石門別安國玉主天神は、阿波国式社略考では、豊玉彦としており、また、住吉大神
を祀る神社の名前に、丹生川上天手力男意気続々流住吉大神社とあり、住吉大神と天手力男を同一視し海神族の祖であるとする説は
何カ所かにあります。天津羽羽命が豊玉姫
に繋がるんです・・阿波には式内の天石門別豊玉姫神社がありますね。

今気になっていますのは、吉野国栖の
祖を祀ると言われる波寶神社です。
波寶と書いて、はほうと今は読んでいますが、飛騨の愛寶山と書いてあはさんと読むように、波寶と書いて、はは じゃないかと思います。朝倉神社の天津羽羽と吉野国栖のつながりで、隠れた吉野三山と土佐のつながり
が見えてきます。

神奈川在住ですが、また高知に参りたいと思います。
加賀 URL 2011/01/31(Mon)23:44:22 編集
Re 加賀さん
こちらこそ書き込みありがとうございます。

>昨年四国にはじめて旅行しまして、凄いと感じました。是非また訪ねたいですね。

是非、お越しください。私のような市民派の歴史家は何人かはおりまして、歴史談義なども開催しておりまして、全国各地の方と交流が深まれば私たちもうれしいです。

>豊受山は行ってみたいと考えておりましたが

豊受山を知ってらっしゃること自体がすごいと思います。四国の人間でも豊受山をそういう歴史的な側面から興味を持つ人は少ないです。

>天津羽羽命と土佐神社の祭神が夫婦神であるとしたのだと考えております。

土佐神社本殿の西側に3つの社があり、事代主/大国主を差し置いて真ん中に西御前という神が祀られています。

おそらくこの西御前は女神であり天津羽羽命である可能性もあります。(神主さんに聞きましたが西御前は誰なのかわからないということでした)

と言いますのは伊勢神宮ではハハキ(竜木)が祀られていますが、それと同じように土佐神社から辰巳方角に線を延ばしますと、巨大な弥生集落があり、その周辺部にはシュメールで竜を意味した淵の名がつく国内唯一、深淵水夜禮花命を祀った深淵神社があります。その線を逆に延ばしますと土佐神社の奥宮とも目される七ツ淵神社があります。その七ツ淵神社の水は鏡川ともつながっており、鏡川は鉄器を投げ入れると竜の祟りがあると今でも伝承されている川です。

竜と淵が辰巳(ハハキ)ラインで並んでいるのです。これこそアラハバキ信仰ではないかと思います。

それがつまり天津羽羽のハハではないかとも思っています。

>丹生川上天手力男意気続々流住吉大神社とあり、住吉大神と天手力男を同一視し

丹生に関しては、奈良吉野と徳島吉野は中央構造線でつながっています。そして住吉はヨシノの元になった語であり、住吉は徳島のミヨシ(三好)と深い因果関係にあります。

少しオカルトの領域に足を踏み入れさせて頂きますと、ユダヤのヨシュアがこの三好と深く関わっていると思います。そして忌部氏もです。

それを証明するかのように剣山アーク伝説。そして栗須戸(クリスト)神社。その近くには住吉神社。

>波寶と書いて、はほうと今は読んでいますが

秩父に宝登山神社という神社がありまして、ホトというのは昔、女性の陰部を意味しましたから、ハやホという響きが母性(大地母神)を表す音であったことはなんとなく推測できます。

しかしいつの頃からかイザナミがカグヅチ出産で亡くなった後、ホには母(水)ではなくて火の効能が積極的に与えられるようになったのではないかと思います。

>隠れた吉野三山と土佐のつながりが見えてきます。

素晴らしい洞察力だと感じます。現在の中央集権国家の元を造ったのが天武天皇なのですが、天武天皇と吉野の関係は深いです。それは日本で初めて天皇号を用いた天武天皇らしく、こだわったのは当時の権力を象徴する丹生ではなかったかと思います。

しかし当時の風水の南都北嶺の都を造ることができない飛鳥を非常に憂いていた姿が想像できます。”中央構造線が飛鳥の北側にあれば、、、”そう感じていたと思います。

飛鳥の最奥部、吉野に最も近い場所に土佐という地名が残されているように飛鳥造成の時に、既に巨大な秦氏の秦泉寺を擁し巨大な都の造りを完成させていた土佐から土木の神/秦氏を呼び寄せていた可能性は高いです。

病気平癒の時は秦石勝を土佐神社に遣わせていますし。しかも天武天皇が最も祀っていた神が風神。しなねのシは風を意味します。シコクのシさえ”風”を意味します。

>神奈川在住ですが、また高知に参りたいと思います。

長い間、”相模”の研究をしておりました。サガミはムサシモが訛ったものだという説が大勢ですが、サはやはりサの神であり、土佐のサでもあると思います。土佐でいいますところの農業神/オサバイさまのサですね。

相模川、酒匂川、秦野、伊勢原など、かなり土佐と似た造りになっていて、その構造に驚きました。高知の五台山は昔、大島と呼ばれる島だったのですが、大山阿夫利神社から見えます大島が土佐七つ淵付近から見る五台山と重なった次第です。

相模周辺部も王権と深いつながりがありますし、幕末土佐の吉田東洋のルーツは相模ですから、歴史を掘り下げれば色々と面白いお話ができると思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
ナカちゃん 2011/02/02(Wed)16:09:11 編集
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