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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)

♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*(長宗我部ファンクラブより抜粋)♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*

                     
「長宗我部を語る会」

DSC05255.JPGDSC04810.JPG
(先月はNHKの取材クルーが来ちょりました)          ↑歴史談義を語る馬楽さん

【日時】12月9日(水)午後7時から
【場所】高知市はりまや町3-20-1北街ビル2F

     街づくりカフェ・ゆうあい工房

【お問い合わせ】090-1003-1503
     お問い合わせは上記連絡先のマスター藤島氏まで♪     

【内容】小浜亭馬楽氏による講談(20分程度)
     講談後はわきあいあいのフリートーク
【参加費】300円(ドリンク付き)
【その他】近隣に100円パーキングあります

歴史に興味のある方もそうでない方も、ぜひ一度参加してみてください。

小浜亭馬楽氏→「土佐物語」を中心に豊富な歴史談義を語る新進気鋭の土佐講談師
♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*(長宗我部ファンクラブより抜粋)♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*




永源寺 - 土佐藩家老・乾氏の菩提寺
(南国土佐へ来てみいや)

おんちゃんのフィールドワークが、かなり深いところまで潜水してこじゃんと楽しい。
 

おんちゃんが書かれちゅうように、山内家は美濃土岐氏や美濃斉藤氏と密接な関係があって、不思議な縁がある。戦国時代の元親の夫人は、美濃斉藤氏の支流・斉藤利三の妹。この斉藤利三は、明智光秀とともに本能寺の変を主導しました。

その兄弟・石谷 頼辰(いしがい よりとき)は山崎の合戦後、元親の家臣になっています。美濃と土佐の土岐氏つながりは、かなりの歴史があります。

さらに遡ると一条氏というキーワードも出てきて、甲斐源氏武田氏ともつながってきます。
詳しくは→土佐武田氏(過去記事)

板垣退助の血筋も初めて土佐に流れてきたわけではなく、既に香宗我部氏として甲斐武田の一族が土佐の重要な武士団に成長しちょりました。

高知県内の仁井田神社に新田義貞が祀られちゅように、土佐では新田氏との交流もありました。武田氏の祖・武田信義の五男が甲斐武田を継ぐわけですが、その五男・信光は新田氏といとこです。


武田信義の嫡男が一条忠頼で、甲斐源氏武田氏が鎌倉幕府の脅威やったき、甲斐武田の嫡男系統が土佐に流されたということながです。

ただ、これもたまたまというか、一条忠頼はおそらく土岐・一条系の血も入っており、土佐はその系統の宝庫でもあるき、鎌倉時代の島流しの通例も『同族は同族の元に』という「鬼は外・福は内」的思考回路があったがやないかと思うわけです。

こう考えると、武田勝頼が土佐に流れてきたがも筋が通る話であり、私たち日本人は今まで間違った歴史観を持っちょったということになると思います。

つまり、中央集権的思考回路は明治以降に国家主義が台頭するにつれて、人工的に作られたものであり、明治以前はどこかの土地が日本の中心であるという感覚は日本人にはなかったものと思われます。

江戸が将軍の都であるとはいうても、それぞれの地方は自活しよったわけであり、参勤交代というシステムがなければいつでも政治的・経済的に独立できる状態やったわけです。

その自立性を失わせたがが、明治の国家改造であって、明治以前の日本を知るためには、明治期の思考回路を超越しなければ本質は捉えれることはできんということながですね。

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先日、土佐神社の【田中光顕 写真展】に行ってました。



田中光顕『ウィキペディア(Wikipedia)』は、調べてみるとなかなか面白い人物。

JI5ISL@Photoさんというブログがきれいな写真をとられてますのでリンクします。

勤王の志士 田中光顕 写真展「青年の風雪」

ほんで監修の松岡司さんのリンクに入ると
「坂本龍馬・中岡慎太郎」特別展 3館合同企画 その4


田中光顕は佐川の出身でなんと司牡丹の命名者らしい。この年になるまで知りませんでした。


田中光顕に絡むところで面白いのは、佐々木高行(瀬戸出身)や土方久元(高知出身やけど、高知のどこの人かはわからん、号が秦山やき谷秦山となんか関係があるかもしれん)天皇親政派というグループと皇権伸張を後押しした点。

この天皇親政派というグループは明治天皇からの信任も厚く、立憲君主制を主張する伊藤博文らのグループも無視できん勢力やったらしい。

高杉晋作の弟子になって伊藤博文とも親交の深かった田中光顕は、土佐の天皇親政派と伊藤ら長州の立憲君主派との板ばさみで大変な思いをしたがやないでしょうか。

天皇親政派や立憲君主派、ほんで板垣らの自由民権派がおって、天皇親政派よりの農本主義の土佐派の谷干城がおって、ものすごく複雑な時代でした。

でも板垣らの自由民権派と違うて、土佐の天皇親政派はたいがい立身出世したようです。


田中光顕も宮内大臣にまで登りつめて、お墓は東京都文京区の護国寺にある。



あと面白いのは、皇后が日露戦争時に龍馬の夢を見た時に、龍馬の写真を皇后に見せたらしい。

陸援隊の副隊長格やった水戸藩出身の香川敬三『ウィキペディア(Wikipedia)』を通して、田中光顕の龍馬写真が昭憲皇太后に届けられたらしい。

ここらへんのところは日露戦争時やき、情報統制などのことも含めて、はっきりしたことはわからんけんど、土佐勤王党出身者や陸援隊出身者が、自由民権派とは違うところで、国家構造の奥深くに潜水しちょったことが伺える。

今は全くおらん宮廷政治家やけんど、そういう性格の人がまた出てくるかもしれん時代になってきちゅう。

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