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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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ミラーリングというがはパソコンのハードディスクを
なんかあった時のためにもう1個リアルタイムに作っていくというもの。

高知県の場合も南海地震に備えて都市機能を嶺北にミラーリングしておく
必要があるがやないかと思う。

もちろん嶺北側は”山村・市民”をキーワードにする県庁になる。

現在のほとんどの市民活動は権力に対抗することが目的とされている。


それを2つの政府という地点に持っていけたら最高やと思う。

もはやヘドロを浚渫すれば終わりという段階やない。
コア(核)がヘドロ化しちゅうがやき。

重要なことはヘドロがヘドロであるとヘドロ自身と
周囲の人間に気づかせること。

この認識の転換が行われんと社会は変わらん。


しかし、それを過激にナショナリスティクにやるのも少し問題がある。

資本主義そのものを全否定できるはずもないし
行政・司法・立法の三権を全て否定できるはずもない。

要は資本主義を修正し
三権分立を守らなければならんがです。


そのために都市機能をまずは嶺北にミラーリングし
政治・経済・芸術の強いファンダメンタルズとリンクさせ
芯が通った社会というもののモデルを作らんといかんのです。


この南都北嶺のミラーリングの中で高知県は発展していくのでは
ないかと思います。



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全国的に生活共同体という考え方が同時多発的に湧いてきちゅうがやけんど

これはおそらく日本人の防衛機能で
文明を維持していこうとする働きやと思う。


国民経済が偽装でぼろぼろになって
それを修正するはずの政治もぼろぼろ
ほんでそれによって人間の生存を保障する食までもが
ずたずたに切り裂かれようとしゆう。

そういう流れに対して、このコミュニティー構想が
至る所で持ちあがってきちゅう。


やき、これは従来の国家システムと距離を置くもんでないといかん。

マツリゴトをもう一度見直し
国民経済をファンダメンタルズから修正し直し
衣食住をそのファンダメンタルズの中で完結・循環させる。


これがコミュニティーの方向性やろうと思う。


一応、嶺北をその重要な地域として取り上げていきたい。


南海地震があと50年以内に来るのはほぼ間違いがないやろうと思う。

白鳳の大地震では12平方㌔が津波で飲まれたき
最悪、高知市の都市機能が麻痺することも考えちょかんといかんと思う。

そうなったら高知県自体が破綻するやろう。

それも含めて考えちょかんといかん。


そもそも高知の復興とは山村文化の復興であるから
高知市中心部の人口を分散させるがは
高知県にとっても重要な政策になるはずのもの。

尾崎知事は”対話と実行”と言いながら
高知市への人口集中を抑える政策を何も発表してない。
いろんな人には会いゆうらしい。

県は道路特定財源で道路を造って車をどんどん通すことよりも
高知市への人口流入を抑制し、過疎の村を過密にする政策を
とらんといかんと思う。

そのことによって森は守られ、土砂崩れによる道路の補修工事もなくなり
中心部の渋滞も緩和される。

そういうお金のかからん政策を高知県はとらんといかん。

都市生活こそ”幸福と文化”を意味する
というような幻想を変えていかんといかん。


高知県はむしろ山村の文化で都市文化を抑制していくという方向に
持っていかんと効率的な県運営は無理やろうと思う。



昨日けんちゃんがコメントをくれた成川さんの記事がすごいので
調べたらどんどんつながってきたので緊急で書きます。

送り犬『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニホンオオカミについて (けんちゃんのどこでもコミュニティー)

ニホンオオカミ絶滅記・異聞(JANJAN成川さんの記事)

JANJANの成川さんの記事に(高知県のニホンオオカミは、佐川町だけ「オオカミ」で
あとの地域では「ヤマイヌ」と表現)とありますがこれはすごい!


オオカミは大神と書いて、これはオオミワとも読みます。
これは奈良の三輪神社の語源になっていると思われるもので
実は伊野の椙本神社が三輪神社で
仁淀川は昔、三輪川と呼ばれていました。

奈良の三輪神社は蛇と密接に関わっている神社ですが
この蛇は仁淀川のことでしょう。
三輪は水と酒と蛇だけやなかった。
オオカミも密接にかかわっちょったがや。
ここまで条件が揃うたら、普通に考えたら土佐が大和やね。
日本神話では(奈良に)海から大国さんが来たいうて書いちゅうけんど
わざとらしい記述。
仁淀川を見たら全ての理由を説明できる。


JANJANの成川さんの記事の中にある横倉山から仁淀川を写した写真を見てください。
山あいを蛇行する仁淀川は蛇そのもの。
(実はこれが龍神ですが)
横倉山には安徳天皇の陵もあります。
ヤマタ(土佐山田・邪馬台国)のオロチ(越知氏)は封印されました。
大神神社は出雲近くに転写されています。

出雲の”後ろの正面”は土佐ながです。
カゴメは土佐が封印されたことを伝える民間信仰の詩です。

佐川の佐は”サの神”のサでしょう。
神奈川にもサカワがある。酒匂と書く。
相模はサの神のこと。伊豆から相模はものすごく気になるところ。
調査中ですが。

佐川の下流には日下郷があります。
草壁皇子の出身地と推定されるところです。


何回も言うけんど大和は高知やき。
高知県人は大和魂を取り戻さんといかん。
共存共栄、自由と平等の魂を。

大和魂言うたらなんかインチキくさい国家主義的なイメージが
付きまとうけど、実は全然違う。
ほんまは国家と正反対の意味を持つ。
人間一人一人の自由意志で成り立つ社会のことを大和と呼ぶがよ。
大和朝廷は全く逆やね。
それが土佐を封印したがよ。


たぶんまだオオカミはおると思う。


高知県人が目を覚ましたら出てくるやろ。

今はちょっと出てきにくいねえ。
犬(オオカミ)は人の心を読むきねぇ。

東京の真似して、思考停止して
自分の足元の自然とか歴史とか振り返らん人たちのところには
現れんやろう。

新堀川を破壊し続けゆう間は、バチが当たり続けるやろうね。

ルーツを否定するものには明日はない。




2008年5月4日(日)は越智啓子、講演会へ!
*会場・・・高知市文化プラザ かるぽーと
*午前・・・ワークショップ(インナーチャイルドの癒し)
午前の部は定員に達しましたのでキャンセル待ちとなっております。
*午後・・・愛と笑いの講演会

詳しくはコチラ

松岡正剛さんの千夜千冊<物部氏の正体>がおもしろい。

土佐邪馬台国をうまく説明できるき抽出してみる。


(引用はじめ)ホノニニギは猿田彦らに導かれて真床覆衾(まどこおうふすま)にくるまり、日向の高千穂に降りた。(引用おわり)

猿田彦は愛媛県の佐田岬の神格化。
佐田岬から九州入りしたがやろう。
天気のえい日は対岸の大分県が見えるほど佐田岬と大分県は近い。
それと同時に軍事的な重要な砦。


(引用はじめ)神武は45歳のときに、こんなことを側近たちに洩らした。「わが天祖(あまつおや)が西のほとりに降臨して179万2470余年が過ぎた。しかし遠く遥かな地では、われらの徳も及ばず、村々の長(おさ)も境を分かって互いに争っている。ついては、シオツチノオジ(塩土老翁)に聞いたところ、東のほうに四方を山に囲まれた美しい土地があって、そこに天磐船(あまのいわふね)に乗って飛び降りた者がいるらしい。(引用おわり)

神武が東征する頃は邪馬台国(土佐)と狗奴国(南九州)が
争っていた時代。
”われらの徳も及ばず”というのは神武の負け惜しみやろう。
既に饒速日は剣山から天降っている。→天忍穂別神社(玄松子さんより)

土佐・物部村 神々のかたち

高知平野も四方を山に囲まれている。
意外と南側の五台山などは見落とされがち。
介良三山などは立派な山。


(引用はじめ)そこから淀川をさかのぼって河内の草香邑(くさかのむら)に寄り、(引用おわり)

淀川→仁淀川(古くはみわかわとも)
仁淀川中流域は河内国
日下村は小村神社がある現日高村
草壁の王子はここの出身。
雄略天皇朝の都は朝倉
国常立の剣は小村神社にあり高知県の3つの国宝の中のひとつ。



(引用はじめ)かくて神武は進軍を始めるのだが、道が険しくて難渋する。そのとき八咫烏(ヤタノカラス)が飛んできて(引用おわり)

八咫烏はヤイロチョウ
ヤイロチョウとヤタガラス


(引用はじめ)神武はさっそく、シイネツヒコ(椎根津彦)に蓑笠をかぶらせて老父の恰好をさせ、弟には老婆の恰好をさせ、天香具山の土をとりにいかせた(引用おわり)

土佐神社のしなね祭で有名な”しなね様”は椎根津彦とも言われている。

大和は高知で国常立の剣は小村神社。
→ゆえに高知は自由平等思想が強い。
(合議制発祥の地だから→後世、自由は土佐の山間より)

大和三山は介良三山の転写。
一言主が土佐に流されたがは
土佐大和が奈良大和に転写されたのを隠すため。

675年に神刀が天武天皇に献上されています。
土左大神 神刀一口 とは何か?

京都の上賀茂神社・下賀茂神社から献上されなかったのはなぜか?
→なぜなら高鴨大明神は土佐が出元だからです。
鴨氏は邪馬台国のヤマタに大和の字を当てはめた張本人。
たかおかみ・くらおかみを奉じる大陸系の氏族です。
土木の秦氏とは蜜月関係。
やき高知では、秦と一宮(鴨)は隣り合わせ。
京都でもそう。


高知の鹿児は香具山


(引用はじめ)さっそく長髄彦は天羽羽矢(あまのははや)と歩靫(かちゆき)を差し出した。(引用おわり)

朝倉神社の祭神は天津羽々神
朝倉神社(玄松子)
朝倉神社は斉明天皇の崩御の地でもある。
雄略天皇の都。



(引用はじめ)そして、その地を「そら見つ日本(ヤマト)」と名付けていたということ(引用おわり)


ヤマトはヤマタ国(邪馬台国)の読み
漢字は大和→皆が和合するようにと願いを込めて
漢字をあてたのは加茂氏(土佐加茂)


(引用はじめ)ヤマトを守るために戦おうとしていた長髄彦の勢力からすると、神武一行を蹴散らすのは容易だったはずなのに、それをしなかったのはなぜなのか(引用おわり)

長髄彦は石鎚山系の素盞嗚本人かそれの一派
饒速日・アマテラスグループとはルーツが違う。


(引用はじめ)『日本書紀』はニギハヤヒがヤマト(大和=日本)の命名者だと書いているのだから、ヤマト朝廷のルーツもニギハヤヒにありそうなのであるが、その関係が見えにくい。(引用おわり)


ヤマトという読みは邪馬台国時代からの引継ぎですが
大和と書くようになったのは神武が即位してからだからやと思います。


補足で『ウィキペディア(Wikipedia)』神武天皇


(引用はじめ)この地を葛城と称した。これによって、磐余彦は中州を平定した。(引用おわり)

葛城→葛島
中州→五 百 年 前 の 高 知(四国のやまなみより)


(引用はじめ)『神武天皇31年、巡幸して、腋上の丘に登り、蜻蛉(あきつ)のとなめ(尾)に似ていることから、その地を秋津洲と命名した。(引用おわり)

高知市歴史散歩 トンボ信仰


と考えたら古代史の多くの謎が解ける。

土佐邪馬台国へもどうぞ。



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雄略天皇は高知の朝倉を都にしちょったと思うけんど
(その理由は万葉集の日下への言及)

万葉集は雄略天皇を日本の開祖としちゅう。

それはだいたい当たちゅうかもしれん。

雄略天皇こそ応神天皇で

狗奴国の素盞嗚と邪馬台国のトヨが誓約して生まれた

国常立という価値を纏った完全な”和”の子供。


土佐神社の開基は雄略天皇期。

朝倉から一宮へ移ったかもしれん。


須崎の鳴無神社が土佐神社の元宮と言われちゅう。

この鳴無神社と土佐神社・しなねさま・手結とかは
全部”風”と”船”でつながる。


でも朝倉は”蛇”と”酒”、ちょっと対立があるようにも思う。



土佐神社のあるすぐ南に葛城氏の布師田がある。
意外と知られてないかもしれん。


奈良から葛城氏が追放されて高知に住み着いたというのなら
なんで雄略朝の早い時期に土佐神社が建てられるがな?


真実は全然違うところにあるやろう。

雄略天皇は土佐神社付近に遷都したがよ。

その時にできたがが土佐神社。


葛城氏(布師田)も、蘇我氏(南国市)も、日下氏(土佐市)
物部氏(物部)も、賀茂氏(鴨部)も、越智氏(越知)
秦氏(秦)も皆、勢ぞろい。

なんせ、高知市が国常立の舞台やき。

土佐国二宮の小村神社が狗奴国と邪馬台国
が和睦を試みた最初の場所。
ここで国常立思想が生まれる。

金銅荘環頭大刀拵太刀身 (日高村ホームページより)

小村神社(高知県 文化環境部 環境保全課より)



浦戸湾には怪しい島もぼこぼこある。

玉依姫の島よ。


埼玉ではワカタケルの鉄剣が出ちゅう。

このワカタケルは雄略天皇と言われゆう。

高知から埼玉?

かなり遠いで?


でも良く考えたら埼玉から奈良へ歩いて行くより

高知から埼玉へ帆船でびゅーんと行くほうが早いと思う。
そういう意味では畿内は不便。


ひょっとすると、古墳時代はものすごく高速航海の時代やったかもしれん。


しなね様は風の神さまという説もある。

一気に関東まで駆け抜ける航海技術を当時の
高知県人は身につけちょったかもしれん。


それやったら当時、日本の首都やったと考えても合点がいく。

高知の地形は南に大きく翼を広げた日本で唯一の地形。

帆船の時代やったら、最も強力な軍事力を持ったかもしれん。



(引用はじめ)
『倭の地は温暖で、冬も夏も・生(野)菜を食する。
(倭国は)真珠・青玉を(産)出する。その山には、丹(あかつち)がある。
・薑(しょうが)・橘(たちばな。または、こみかん)
・椒(さんしょう)・みょうががある。
父子や男女による (区)別がない。
人の性(情)は、酒をたしなむ。
盗窃(ぬすみ)せず、諍訟(うったえごと)はすくない。』
(引用おわり)
<邪馬台国の会より>


邪馬台国時代の風俗はこれやし。

橘なんかは南でしかとれん。


とにかく、高知が首都やった時代のことについても

もっと掘り下げる必要があるちや。

いつまでも流刑地史観を持っちょてもいかん。
それが経済衰退の一因でもある。

限界を超えろ、桓武天皇派の洗脳を打ち破るのだ!(笑)



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夜須が日本神話の天の安河やないがかと考えちゅうわけやけど

手結もやっぱり怪しい。

つんつく踊りも八大龍王宮も

手結はおそらく万葉集の手結(たゆい)が浦↓からきちゅうとは思いますが

巻第三・367 笠金村の歌(万葉集に親しむ)



万葉集が怪しいというのは良く知られたこと。↓

古今伝授の正体は何か
(暗号山上憶良より)

なぜかって言うと、ものすごく偏っちゅう。

鯨魚とりに関しても高知が出てきてない。↓

万葉集: 鯨魚(いさな)を詠んだ歌
(たのしい万葉集より)

捕鯨文化『ウィキペディア(Wikipedia)』


高知が開けてなかったというのは嘘。

高知は縄文・弥生時代から他の地域に劣らず先進的な地域やった。


太平洋に開けた今でもホエールウォッチングをやりゆう高知を
詠んでないのはおかしい。
これだけやない。高知のことは全然詠まれてない。


でも紀貫之は土佐日記を書いた。

これについては土佐弁レボリューション も参照願いたい。


高知が辺鄙なところで文化的土壌がないところやったら
鹿持雅澄なんか絶対に生まれてこん。
こういう国学者は過去の蓄積した歴史を背負って生まれるがやき。
土佐文学の礎(高知県立文学館より)

谷秦山と武市瑞山を前後の代に持っちゅのはものすごくおもろい。



それでなぜか知らんけんど正史に最初に出てくる
土佐の記述は”土左大神 神刀一口”(これは自分のサイト)


剣が三種の神器やった時代にです。

しかも朝倉宮は福岡よりも高知のほうがビンゴ。
朝倉橘廣庭宮は土佐の朝倉神社(これも自分のサイト)


これだけ条件が揃えば土佐が封印されてきたことはすぐにわかる。


卑弥呼が隠れたのは龍ヶ洞やし。


話を戻すと、手結という地名は島根にもある。
鯨もとれよったみたい。↓

化鯨『ウィキペディア(Wikipedia)』


でもこういうことがよくある。
高知の地名が出雲に転写されちゅうのは。


ここがものすごくひっかかるところ。

自分は出雲からの国譲りなんかなかったと思うちゅう。

大和に国を譲るのは邪馬台国やし
邪馬台国やったら卑弥呼を共立した自由思想がないといかん。
自由思想の本拠地やないといかん。
その他もろもろは土佐邪馬台国


一言主が土佐に流されたのも偶然やない。

土佐神社が賀茂なのも偶然やない。


日本神話のはじまりは土佐


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前の前の項で現代性をのせるみたいなことを書きましたが

こじゃんと重要なことを書き忘れましたのでひとつ。


現代はファッション性が時代を牽引していくひとつの要素ですが

それを高知に戻すのはどういうことかというと

高知のローカリズム(歴史)に沿ったものを焼き直すということながです。


では、高知のファッション性とはなんながでしょうか?

自分は各地の神社を訪問してきました。

そのなかで各地域の文化やメンタリティーのルーツは
ほとんど産土神である神社に遡及できることがわかりました。

そうです。

ですから高知のファッション性は土佐神社に遡及すればよいのです。

では土佐神社のファッション性の本質とはなんながでしょうか?




それは、質実剛健です。

質素さの中に剛がある。

これこそ、土佐の文化やメンタリティーのルーツです。

やき、オリジナルなファッション性ももちろんここから
出てくる必要があります。

長い間熟成された、よさこいの衣装はひとつの参考となると思います。


神話の時代の統治者は建依別です。
いかにも質実剛健らしい名前です。


これを認識し質実剛健をファッションにのせ
前面に押し出し焼き直していけばファッション性で
高知は負けることはありません。


戦後はよさこいに高知県人のメンタリティーを詰め込んできたけんど
これからは政治・経済とか都市計画にのせていかないかんと思う。



これからの時代はオリジナルだけしか生き残れません。


温故知新、歴史に忠実に新しい感覚で焼き直そう。


ここのところは何回でもゆうちょきたいくらい重要やき
もう一回。

高知の経済的復興というのは都市部への一次産品の輸出がひとつ。

ほんでそれはまず、東京であること。

そしてその前に高知でイオンに勝てんかったら東京への進出は
夢のまた夢ということ。

ほんでイオンに勝つことと中心部の再生は同じ線でつながっちゅうということ。

中心部再生・イオン撃退・東京進出+成功は
全部ひとつの線でつながっちゅうということをはっきり認識することが
絶対に必要。

しかもイオン撃退は条例や住民運動でやるんじゃなくて
経済的な勝利によるものやないとだめ。

自分の間合いにイオンという敵が踏み込んできたことを
高知県民は喜ぶべき。


ひとつずつクリアしていくことによって
成功は近づいてくる。

これ以外に組織的かつ永続的に高知が発展していく道はない。

孫の代、さらにそれ以降まで高知が存在するように
今、頑張らんといかん。


高知県の資本は選択と集中という原理に基づいて
この物産公社の設立に素早く向けられるべき。


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