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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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谷時中の墓 - 「土佐南学」中興の祖(南国土佐へ来てみいや)

いつもオンチャンがマニアックな歴史遺産を克明にレポートしてくれるので、現地へ足を運ばんでも行った気になります。しかも写真がきれい。


横浜にあったがや~、谷時中『ウィキペディア(Wikipedia)』のお墓。

しかも谷時中は、ずっと在野で過ごした思想家やったらしい。還俗した思想家で儒学を在野で教えて、しかもその門下に垂加神道を切り開いた山崎闇斎がおるき、谷時中は在野でおり続けることにこだわちょった可能性がある。

ここらへんは、絵金とおんなじで、大政翼賛せん土佐の反骨の象徴とも言えるやろうと思う。

しかもそこから新たな神道が生まれてくるわけやき、谷時中の思想の中には古神道が宿っちょったというてもえいと思います。


日本経済思想のルーツでもある石田梅岩も儒学に精通しながら神道に造詣が深かったことを考えても、この頃の思想家の教養として儒学を表の学問としながら神道的感覚を裏に持つというがが、普通やったかもしれません。


そう考えると非常におもしろくて、空海が『三教指帰』『ウィキペディア(Wikipedia)』の中で、仏教・道教・儒教を比較し、仏教の優位性を主張する著作を上梓するがですけんど、戦国末期から江戸時代初頭において、日本のほとんどの思想家が仏教の優位性を信じてなかったということになります。

これってなんながでしょうか?

戦国武将のほとんどは禅を始めとして仏教的な信仰を持っちょったけんど、その裏で商人たちは儒教的な信仰を神道を核として温めよったということになります。単にこの流れを宋学・陽明学に影響を受けた日本人が出始めたと片付けてえいもんかどうか疑問が残るがです。


これは明らかに商人による思想革命であり(日本経済思想がこの頃の思想家をルーツとしちゅうわけやき)現代まで続くインテリジェンスのルーツともなっちゅうがですね。


その中でも、谷時中はおもしろく仏道を捨てて山崎闇斎を生み出したわけやき、土佐のいごっそうの反骨が思想的に昇華して全国にほとばしった、というおもろい例やろうと思う。

これははっきり言うて、さっきも言うたけんど絵金の走りでもあって、土佐の伝統とも言うてえいやろうと思う。

それと大事なことながやけんど、一般的には南村梅軒『ウィキペディア(Wikipedia)』が土佐南学を興してそれを谷時中が学んだみたいな構図にされちゅうけんど、ちょっと違うと思う。


谷時中の反骨が、若い頃から仏教と儒教を学ばせることになるがやけんど、南村梅軒が高知に来るまでにある程度、完成されちょったと思うで。

なぜなら谷時中は県外に行ったわけやなくて、近くにたまたま来た南村梅軒に習うたわけやき。門下の山崎闇斎なんかは京都からはるばるきちゅうわけやき、これは谷時中から学んだというてもえいやろうと思う。

しかし、こう考えたら谷時中という人間はおもしろく、もともと出身は東洋町ながやき、関西に出るほうが近かったと思いますが、関西よりも土佐を選んじゅうわけです。これは山崎闇斎なんかもそうで、当時の土佐がどれほど学問の進んだ先進地域であったかが伺えます。

しかも谷時中は学問の先進性だけやなくて、かなり強固な土佐愛国主義者であった可能性すらあります。

野中兼山の土木工事なんかは強烈な郷土愛がなければできんことで、もともと土佐の人間やない野中兼山に土佐の愛国主義をたきつけたがは谷時中やないかと思います。

結局、山崎闇斎は、この谷時中の土佐愛国主義が嫌になってイザコザになったがやないですかね。野中兼山は擁護しよったみたいですけんど。いや~妄想が止まらんですな(笑)



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ナショナリズムと自由民権(清文堂出版株式会社)


田村安興さんという方が、『ナショナリズムと自由民権』という本を出版されちゅうみたいながですけんど、これはすごい学術本であると思います。

上記紹介ページの和歌山工業高等専門学校の重松助教授の紹介文にこう書かれちょります。

*****引用はじめ*****
植木枝盛・中江兆民などこれまで高く評価されてきた理論家についても、皇国思想や天皇親政を公的に批判したことが一度もないことが強調される。これは、自由民権運動が国学以来の系譜の延長線上にあるからだと田村氏は言う。土佐の場合、南学・維新勤王運動・自由民権運動は人的連続性ばかりでなくイデオロギー的連続性を持つことが、本書では論証されている。
 このような見方に立てば、自由民権運動は民主主義的な運動であるというよりも、近代日本にナショナリズムを定着させる下からの愛国主義運動だったことになる。そもそも愛国公党という命名にそのことが現れていた。
*****引用おわり*****


これは非常に野心的な挑戦であり、学術書として上梓した田村さんには非常に敬服致します。


これは、どういうことかと言いますと、自分も常々言ってきちょりますように、土佐の愛国とは自由主義と勤王主義がセットにされたもんであり、しかもそれが下から愛国主義によって支えられるというところに最大の特徴があります。


これこそが、土佐邪馬台国の残滓であり、むしろ古代王権が土佐にあったということなしでは、土佐の愛国主義を証明することはできんがです。


その下からの愛国主義運動を今、まさに土人党でやろうとしちゅうがですね。この愛国主義とは何かというたら中央集権国家主義でぼろぼろにされた日本国を連邦制主義で立て直そうとする愛国であるわけです。

戦後の中央集権国家の偽民主主義・偽3権分立・偽政党政治は土佐の根底に眠る(初期大和王権の)自由主義と勤王主義に相反するものであり、もうそろそろ我慢の限界にきちゅうわけです。

もともと初期大和王権(土佐邪馬台国)は自由主義・勤王主義・連合国家主義の3本立てでしたから、これは日本全土を巻き込む復古主義運動になります。

これは決してルサンチマンではなく、合理性と論理性に裏打ちされた冷静と情熱の間(笑)の変革になるがです。

現在の日本国を否定してまで、目指すわけやき、明確な国家像がないと無理なわけです。でも、土佐人には初期大和王権(土佐邪馬台国)から連綿と続くイデオロギー的連続性がありますので、政府に対してアンチテーゼを唱えることが可能なわけです。

真の大和の自由主義とは、どんなもんであるかをこれから証明していかないかんと思う。古代大和王権は、奈良や京都に遺物として埋もれちゅうがやなくて、土佐人の精神的スタンスにこそ埋もれちゅうがです。

日本とは何か?大和とは何か?愛国とは何か?
もう一度、土佐から全国へと発信していかないかんと思います。


  ●参考→土佐は生きている (過去記事)

  ●参考→土佐勤王党の思想(過去記事)

  ●参考→ジンテーゼと三位一体(土佐邪馬台国)(過去記事)

  ●参考→弥生時代のキリスト原理(過去記事)

  ●参考→日本語の発祥は土佐弁(過去記事)



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[2351] 菅原高視さんは何故ここに住んだのか - 2009/09/22(Tue)

ひまわり太郎さんが書かれちゅうこの記事。こじゃんと面白い。

自分も別のブログで菅原高視関係は追いゆうけんど、この問題を見ていくことで古代史の謎がかなり解けてくる。


①なんで菅原道真が左遷されたがか?
  
  解→北極星信仰の頭領やったき。


②北極星信仰の何が悪かったがか?
  
  解→天皇家を覆すほどの力を持っちゅうき。


③なんで菅原高視は潮江に住んだがか?

  解→高見山横のライオン岩こそスフィンクス(牛)やき。



潮江は牛尾の江とも解され、佐渡の牛尾神社の例祭は天王祭。

天王とはすなわち牛頭天王であり、北極星信仰。

高知にも天王ニュータウンというのがある。これは牛頭天王のことで、北極星信仰があったということ。明治時代の神仏分離で牛頭天王は封印されたけんど、天王の地名は全国各地にある。

茅の輪潜り『ウィキペディア(Wikipedia)』は全国にあるけんど、輪抜け様いうがは高知だけ。

この茅の輪潜りも実は北極星信仰で、潮江天満宮は日本最古と言われる防府天満宮よりも古い。茅の輪潜りの発祥の地はおそらくは潮江天満宮やろうと思う。


潮江と介良はこじゃんと密接な関係があって、ライオン岩と五台山あるいはライオン岩と介良三山は男性と女性の関係にあって、浦戸湾を中心に輪抜け様みたいに八の字にぐるぐる回ることによって何かを生み出しよったがやないかと思う。


  ●参考→ジンテーゼと三位一体(土佐邪馬台国)(過去記事)


八の字を描いたら最後は北の土佐神社へ抜けるがやけんど、北極星信仰の聖地というがは山を上がったところにある。


このように、古代史というがは正史とはかけ離れたところにあって封印の連続というてもえい。


民衆から支持された菅原家は、皇室を私物化した皇族に放逐されました。それでも高視は、朝廷に頑強に抵抗し、国衙で執務をするがやなくて、古代から連綿と続く潮江の北極星信仰の地に住んだがやないかと思います。


菅原道真の時代は、空海などによって仏教による鎮護国家が完成されつつあったわけですが、牛頭天王や吉祥天女などの古代日本の北極星信仰を刺激する仏教文化も入ってきて、天皇家としては非常に厄介な時代でした。

古代の日本に戻そうとする民衆の復古主義(自由主義的天皇制)と、民衆支配を強め権力を我が物にしようとする支配主義的天皇制の争いが延々と続いていきよったがです。いうたら菅原高視は10世紀の自由民権運動家というてもえい。

これは、邪馬台国と狗奴国の戦いもそうやったし、薩長藩閥政府と自由民権運動の戦いもそうやった。このように自由民権運動いうがは何千年もの間、土佐から発せられゆう連続したエネルギーであって、このエネルギーが絶えることはないやろうと思います。

いわば、土佐自体が日本においては永遠のアンチテーゼであって、土佐のアンチテーゼはテーゼを常に支配するわけではないということながですね。日本がおかしくなってきて支配主義が横行した時に爆発するように出てくるなんかの装置のようなもんで、平時はひとっちゃあ機能しやせんアンチテーゼながです。でも、それがひとたび爆発しようもんなら、深い深い日本の古代の力を伴って出てくるもんじゃき、どこの地域もそれに対抗する力を持ち合わせんということなが。


弥生時代に完成された土佐邪馬台国の宗教原理というがは、それほど強力ですごいもんやったがよね。


結局、平安時代もこれらの古代信仰への揺り戻しを抑えることができんかったき、武士が誕生し、二重権力構造という世界的にも珍しい政体ができていくわけです。


ほんで、武士が幕府を打ち立てて、自らが北極星になるという文化が出来上がっていったがです。

日光は江戸にとっての北極星でもありますが、源頼朝の信仰をうまく家康が吸収しました。結局それも龍馬という北極星信仰の若者によって瓦解するわけですが。


【高見のたこ焼き】いうて、おいしいたこ焼きがあるけんど、もともとは菅原高視の北極星信仰に端を発しちょって、輪抜け様も牛もこれらあと密接な関係があるっちゅうことながよね。


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先日、土佐神社の【田中光顕 写真展】に行ってました。



田中光顕『ウィキペディア(Wikipedia)』は、調べてみるとなかなか面白い人物。

JI5ISL@Photoさんというブログがきれいな写真をとられてますのでリンクします。

勤王の志士 田中光顕 写真展「青年の風雪」

ほんで監修の松岡司さんのリンクに入ると
「坂本龍馬・中岡慎太郎」特別展 3館合同企画 その4


田中光顕は佐川の出身でなんと司牡丹の命名者らしい。この年になるまで知りませんでした。


田中光顕に絡むところで面白いのは、佐々木高行(瀬戸出身)や土方久元(高知出身やけど、高知のどこの人かはわからん、号が秦山やき谷秦山となんか関係があるかもしれん)天皇親政派というグループと皇権伸張を後押しした点。

この天皇親政派というグループは明治天皇からの信任も厚く、立憲君主制を主張する伊藤博文らのグループも無視できん勢力やったらしい。

高杉晋作の弟子になって伊藤博文とも親交の深かった田中光顕は、土佐の天皇親政派と伊藤ら長州の立憲君主派との板ばさみで大変な思いをしたがやないでしょうか。

天皇親政派や立憲君主派、ほんで板垣らの自由民権派がおって、天皇親政派よりの農本主義の土佐派の谷干城がおって、ものすごく複雑な時代でした。

でも板垣らの自由民権派と違うて、土佐の天皇親政派はたいがい立身出世したようです。


田中光顕も宮内大臣にまで登りつめて、お墓は東京都文京区の護国寺にある。



あと面白いのは、皇后が日露戦争時に龍馬の夢を見た時に、龍馬の写真を皇后に見せたらしい。

陸援隊の副隊長格やった水戸藩出身の香川敬三『ウィキペディア(Wikipedia)』を通して、田中光顕の龍馬写真が昭憲皇太后に届けられたらしい。

ここらへんのところは日露戦争時やき、情報統制などのことも含めて、はっきりしたことはわからんけんど、土佐勤王党出身者や陸援隊出身者が、自由民権派とは違うところで、国家構造の奥深くに潜水しちょったことが伺える。

今は全くおらん宮廷政治家やけんど、そういう性格の人がまた出てくるかもしれん時代になってきちゅう。

一年前に、一領具足で格差社会を追い落とす の中で、本能寺の変で明智光秀に織田信長を討たせたがは長宗我部って書いたけど

『長宗我部氏にとっての本能寺の変』(若宮八幡宮)

三重大学の藤田達生という人がそのようなことを指摘されゆうらしい。具体的にどういうことを言いゆうかはわからんけんど、おそらく明智光秀と長宗我部元親が組んで織田信長を討ったという話やろう。

本能寺の変『ウィキペディア(Wikipedia)』

いちおう、本能寺の変の黒幕には長曾我部元親説もあるらしい。

これは当たり前の話で、本能寺の変は四国征伐の直前やき、長宗我部元親が明智光秀を利用して織田信長を暗殺させたというのは、数ある黒幕説の中でも最も説得力のある説やろうと思う。

実際のところ、本能寺の変の時、光秀は上杉景勝にも書をおくっちょったらしい。中国地方では毛利が攻められゆうき、信長を良く思うてなかった徳川家康と長宗我部が自分の味方をしてくれゆう以上、秀吉を討てると確信しちょったと思う。

しかし、天下の策士である家康と元親はお互いに、どっちかが動いたら動こうと思うちょった。

それで元親は動いた。けど家康は動かんかった。これがその後の天下を左右したがよ。秀吉が返って来た時に、家康と光秀と長宗我部が連合したら秀吉を討つことは簡単やった。

家康にとって、何が邪魔かというたら、長宗我部元親と明智光秀が仲がえいのが気に入らんかったらしい。

長宗我部元親と明智光秀、そして上杉景勝が組んだら、家康の立場は一気に低下する。これを恐れたがよね。

ほんで光秀を見殺しにして、天下分け目の戦いにもっていく。

やき、本能寺の変は、徳川家康と長宗我部元親のかけひきやったというてもえい。

家康が動いて秀吉が討たれちょったら、長宗我部元親が三好の領土を駆け上がって上洛して、上杉と連合して、全然違う日本ができちょったと思う。(まあそれは幕末で晴らされることにはなるけど)

上杉の義と長宗我部の一領具足はどっか似たところがある。徳川の帝国主義やのうて一君万民の天皇制が敷かれたと思う。トップには毘沙門天が祀られたかも(笑)

こういう傾向というがは、時代が変わっても、あまり変わらん。今もまた一君万民が出てきゆう時代。

いつまでも東京の真似ばっかりしゆう場合じゃなかろうに。

土佐神社の祭神はアジスキタカヒコネとか一言主とか言われるけんど、近くに住みよった自分らあは、しなね様としか言いやあせんかった。

しかも、しなね様は女の神さまっていうがは、誰に聞かされたわけでもなく、近くに住みよったらなんとなくわかること。

下記にはしなね様の根源とも言える『しなとの風』について言及がある。
前にもリンクした素晴らしいサイト

中世土佐の宗教

***引用はじめ
「しなとの風」は、いっさいの罪やけがれを吹き払う風とされている
***引用終わり

らしい。

実はこのしなとの風は男女一対の神とされていたようですが

愛媛の佐田岬の先、大分県の早吸日女神社には椎根津彦を祀る椎根津彦神社もある。

早吸日女神社の公式ホームページ

もし仮にこの椎根津彦神社と土佐神社がセットであれば、土佐神社のしなね祭は、速吸瀬戸から足摺岬(旧佐太岬)を廻って浦戸湾に入る壮大な風祭だったのかもしれん。

実はかなり以前に神武東征は高知県を通過し、ウズヒコが足摺から高知市中心部まで案内したという記事をどこかで書きましたが、椎根津彦神社の
珍彦命はそのウズヒコであったらしい。

しなとの風文化を持つシナノの諏訪大社も『風と水』を祀っているらしい。早吸日女神社と椎根津彦神社のセットもそうであるし、土佐神社もそうやろう。

しかし、現土佐神社の船渡し神事は風が吹かない鳴無(おとなし)神社から出発する。これに神武東征記を重ね合わせてみると、色んなことが見えて来るのではないかと思う。


伊勢神宮には風宮『ウィキペディア(Wikipedia)』があって、元寇を撃退した神風の出元とされたわけですが、土佐神社・風の女神説が正しければ土佐神社に椎根津彦を入れることによって土佐から神風が吹くということになると思う。


これはまんざらでもなく、坂本龍馬も『日本を今一度、洗濯いたし申し候』と言うちゅう。これは前述した『しなとの風』の本質と酷似しちゅう。

神武天皇に封印された『しなとの風』が幕末に吹いたっちゅうことは、論理的には今でもそれができるということやろうと思う。



第2室戸台風『ウィキペディア(Wikipedia)』

最大風速は室戸台風が過去最高を記録して、最大瞬間風速も第2室戸台風では84.5m/s以上を振り切って風速計がぶち壊れたらしいき、日本一やった可能性は高い、だからというて別に勝ち負けの問題でもないけど。

室は穴という意味とか神が出てくる場所みたいな意味があるらしい。風の女神ともとれるかもしれん。


しなね祭は、ほんまは台風を祀る祭りやったかもしれません。太陽神と北極星を祀る七夕神事という側面と風の神を祀る台風神事の側面があったわけです。


3つほど重要なことを書きます。


まずひとつめは五台山

高知の五台山にはものすごく重要な歴史が眠っちょって、聖武天皇が中国の五台山に見立てて、全国を探させた結果、白羽の矢が立ったのが高知の五台山。全国には五台山という名の山がいくつかありますが、高知の五台山が最も怪しい。全国的に高知の五台山はかなり知名度が低い。

実は行基のお墓が奈良生駒の竹林寺にある。

ほんで一言主はすぐ南の葛城山の事件で土佐に流されたとされる。

実は高知の五台山の竹林寺には一言地蔵なるお地蔵さんもいます。

五台山は土佐神社の離宮もあります。
星神社もあり、北極星信仰の痕跡も見られます。

北側にはタルミなる地名も残り、昔は大島という島であったらしいのです。しかも北側には葛城氏の一大拠点。

ここまでの要素が揃えば、何か出てこんわけがない。



ほんで2つめは玉島

玉島・衣ヶ島 特別自然保護地区

ちょうどおんちゃんがきれいに写真を撮られちょります。

神功皇后伝説は全国にあまたあっても、白い石伝説はかなり重要なもの。

潮満珠、潮干珠を彷彿とさせる。

高知にエジプト文明の痕跡!?

神功皇后が長浜八幡宮から出兵したとする上記の記事の小さい裏づけにもなる。

玉島とは何か?というたら、太陽神(おとなし)と北極星(一言主)で孕まれた卵ということ。

このことを裏付けるように潮が引いたら玉島にも渡れるらしい。これは潮干珠の力。


ほんで最後は高知の斗賀野。

莵餓野(歴史樂)

香坂王・忍熊王に関することやけんど、日高・佐川は古代太陽信仰があった土地。

日下氏もその末裔やけんど、忍熊とは太陽の西側で位置的にも合うちゅう。香坂王に関しては須崎のほうにその起源がありそう。

これはしかも神功皇后時代。

妊娠して戦争にいくらあてハチキンとしか考えられん。


その子供が若宮なんながやけんど、高知の若宮への信仰は鎌倉幕府以降ではないと思う。

もっとしっかりと検証せんといかんと思う。


泣く子もだまる『ハチキン』という土佐弁はどこからきちゅうか?

今までいろんなことが言われてきました。

最も説得力を持つ説は、「キ○タマを八個持つほど、強くてたくましい」という説。すなわちこれは男性の4人分に相当するほどの女性という意味です。

高知県人の中でも、「そりゃそうじゃ」と納得するような説。それほど土佐のハチキンはすごい。

酒飲みだいたら、男がたばになってもかなわんほどザルやし、しゃべりでも、一言で話しを終わらせてしまうほどの説得力を持つことをガツンと言う。(これは一言主の血があると思う)

こういう女性が高知にはかなりおる(今は少なくなってしもうたかもしれんけど)

このハチキンの祖先が何かというと、日本神話に出てくる『八意思金神』やないかと思う。

オモイカネとかヤゴコロオモイカネノカミとかって呼ぶ。

知恵の神様で、アマテラスを岩戸から出す知恵を授けた神様。

龍河洞を岩戸隠れの舞台とするとハチキンという言葉はその近くの物部川流域のなんらかの地形か巨石をその出元にしちゅうがやないかと思う。

別のブログにも書いたけんど、孕のジャンでイザナギとイザナミのマグワイが行われて、いろんな神様が浦戸湾周辺に生まれていったと思うけんど、ほとんどが山とか巨石やと思います。

アマテラスが龍河洞に隠れた時に、八意思金神が八百万の神に知恵を授けて天手力男命が戸をこじ開けるわけながやけんど、天手力男命を祀る天石門別安國玉主天神社が越知にある。

やき、たぶん、孕のジャンと龍ヶ洞と仁淀川の上流はなにか深い地質学的なつながりがあるということやろう。神峯神社の燈明岩はなんかの折に青白い光を発するということで有名やけんど、そういうなんかのシグナルが多分、仁淀川流域の巨石とか、龍ヶ洞にあるがやと思う。

孕のジャンなんかもその類やろう。

そのハチキンの八意思金神が八百万の神に授けた知恵に『常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。』というのがあるけんど、高知のオナガドリはその名残やろうと思う。

やき、ハチキンとオナガドリは深い関係にあると思う。

ほんで、天手力男命が戸をこじ開ける前に『アメノコヤネとフトダマがアマテラスの前に鏡を差し出した。』ということやけんど、これは鏡村の鏡岩のことやろうと思う。

このように日本神話は高知の地形と巨石と自然現象で全て説明ができると思う。

日本神話のはじまりは土佐

後は検証していくだけのこと。


おそらく仁淀川河口の宇佐が荒れてきたらスサノオが暴れ出す兆候になっちょって、それを”(スサ)ノオが悪い”という土佐弁で表現し始めたがやないろうか。

宇佐はちょうどオトナシ神社から土佐神社へ向かう第一関門、そこが荒れたらイザナギとイザナミの孕ができんなる。

その仁淀川上流に天手力男命を祀る天石門別安國玉主天神社があるというのはなんか深い意味があると思うけんど、現時点ではわからん。今後の調査に期待。


こういうインスピレーションがやってきゆうということは、今度の南海地震では孕のジャンがあるということやないろうかね。

ほんでそれが仁淀川となんか関わっちゅうということ。大分の宇佐神宮の元宮でもある高知の宇佐八幡のあの祭りがなんらかの鍵を握っちゅう。



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