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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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土佐史談192号に”「賀茂之地」はどこか”項(橋田氏作)がある。

ことの発端は『釈日本紀』にみられる”初め賀茂之地に至り、後に此の社に遷る”の一文である。

此の社が、現在の土佐神社であることは誰もが認めるところだが、初めの賀茂之地が問題なのである。

①戦国に生きた谷忠兵衛は、須崎の賀茂神社をその比定地としている。

②鹿持雅澄は、入野松原に設定している。

③竹崎五郎氏は、高知市鴨部をその比定地としている。

④伊野部重一郎氏は、入野の賀茂神社をその比定地としている。

⑤前田和男氏は、宿毛の平田あたりという説を展開している。


これらをまとめる形で橋田氏は、⑥入野の北、加持の三島神社を”初めの地”として設定した。

なかなかの推理である。


国造本紀には、都佐国造のルーツは三島溝杭とされている。

三島信仰を巡っては、伊豆と瀬戸内がそのルーツで過去、争いを起こしている。

ただ、静岡の方は、三島が3つの島を信仰するような形態に移行していること、瀬戸内のほうは、三島をそもそも神島と書いていたことからも、少し対象が異なっていたように思う。

これらに対して、土佐の三島信仰が、そのどちらから来たというよりも
以前書いた、海に沈んだ土佐沖の大陸への信仰としても面白いのではないかと思う。


津野・梼原町近辺に存在する三島神社は、普通に考えれば、伊予からの勧請とするだろう。

しかし、須崎周辺に存在する集落消滅伝承と三島信仰が大地震後、加持や津野町のほうに徐々にせりあがったことも可能性としてはないわけではない。


いずれにしても賀茂之地が波多国から都佐国に遷ったというのは可能性としてはかなりあるだろうということである。

律令制以前は、都佐国よりも波多国のほうが先進地域であったとするのは論を待たず、その後、斉明天皇が高知市の朝倉で行宮をこしらえるに至る、この100年ほどの間の激動はいかばかりかと思うほどである。



伊都多神社 - 御祭神は三嶋神が龍神から救った三姉妹の一人か


おんちゃん言うように高知のイズタ神社が3姉妹で、イズナヒコが一言主なら
イズナヒメ、イコナヒメとは一体だれなのか?という大問題が浮上してくる。

ちなみにイズノメはかなりの埋没神である。

そもそも、土佐沖にあった島が3島でそれぞれ沈んだ場所を後世に伝えるために3つのイズタ神社を作り、賀茂之地を入野から高知市内に移した。このタイミングが、ひょっとすると全て白鳳の大地震直後であった可能性も否定できない。


3つの島が連なっていたとすると、黒潮町沖、須崎沖、浜改田沖だろう。

三角型のピラミッド山を信仰していた賀茂一族が3つの島を信仰するのは、自然の理に適っている。住吉信仰もこれであり、古くは三体妙見も、そうである。


黒田、黒崎、黒鳥から見えてくる土佐初期大和王権


でも書いたように、自分の仮説は
675年に土左大神が天武天皇に神刀一口を献上した時の土佐高賀茂大社は、沈没した黒田郡にあったのではないかということである。


つまり釈日本紀に見られる「賀茂之地」とは


⑦白鳳の大地震で沈没した黒田郡である。


としたい。



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