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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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秦地区の史跡(一)(高知市歴史散歩) 

上の記事に秦泉寺の古代が書かれちゅうがやけど

実はこれはものすごく重要。

日本史を覆すことになるかもしれん素材やね。
まあ、自分は”高知がヤマト”やってことを言いゆうき驚かんけんど(笑)

 秦泉寺廃寺跡IV(高知県埋蔵文化センター)

上の資料の44ページにも指摘されちゅうがやけんど
この秦泉寺のすごいところは古墳時代から白鳳時代に
スムーズに移行しちゅうこと。

秦泉寺の近くには古墳がどっさりあって
普通なら古墳時代から、寺院を中心とする飛鳥時代に移行するのであれば
軋轢は生じるはずで、文化の中心地も変わるはず。

でもこの秦泉寺はスムーズに移行しちゅう。

これは何を意味しちゅうかというと、この地域に住む指導者が
ものすごい知性を持っちょったということ。
(おそらく聖徳太子やろうと思うけど)
土佐山田は五角形の竪穴住居が出ちゅう。
これもまだどういうもんかわかってないね。
土佐山田は蘇我氏と関係が深い場所でもあるし
聖徳太子は蘇我系やし。

高知市と南国市に蘇我と物部と賀茂と秦
これらが密集して遺跡群と寺院跡を残しちゅう地域は他にはない。
これを調べたら畿内がどれだけ記紀史観で捏造されたもんかがわかる。

冗長すぎる遺跡分布と辻褄が合わん遺跡配置。


京都の広隆寺は7世紀の創建とされちゅう。

しかし、広隆寺は古墳時代との関連は指摘できん。

しかもこの秦泉寺の廃寺からは白鳳時代の遺物が出てきちゅう。
白鳳時代と言うたら白鳳の大地震。

ものすごい津波が襲ってきて、土佐でものすごい被害が出たって
日本書紀にぴっと書いちゅう。

しかもこの秦泉寺のあるところは中津と呼ばれちょった浦戸湾最奥の港。
津波が最も高くなって降りかかる場所。

波に飲まれて壊滅したというのは容易に想像がつく。

その後で古墳時代と関連のない広隆寺が創建されちゅう。

どう考えても高知が先。

聖武天皇が全国に国分寺の建立を命じたのは741年。

この秦泉寺のずっと後のこと。


奈良には土佐という地名もある。

飛鳥時代に土佐人が移住したそうな。
それもそのはず、白鳳の大地震で巨大津波を経験したら
もうこんなとこに住むのはやめちょこうと思うやろう。
都を置いちょったら国が潰れると思うやろう。

やき、南に山脈が存在する奈良盆地を選んだ。
土佐の津波は全部、南から来るきね。


壬申の乱はこの白鳳の大地震で土佐が壊滅したことを
隠すためにクーデター説を捏造したがよ。

現に壬申の乱架空説は最近、真実味を帯びてきちゅう。
土佐では蘇我も物部も仲良かったわけやし。

奈良では飛鳥時代以前の日本書紀に合致するような遺跡が全然見つかってない。
全ての遺跡が”~だろう”という推測。

見つかるはずがない。
飛鳥時代以前には奈良に都はなかったがやき。

奈良という地名は単に”国”を表す呼び名。
埼玉に奈良という地名もある。

西の田村遺跡群、東の居徳遺跡群、そして中央のこの秦泉寺廃寺跡
これを真剣に偏見と洗脳にとらわれずに洞察したら
土佐がヤマトっていうのは誰でも見えてくると思う。

奈良とか京都っていうのは、どでかい遺跡とか古墳とかあるけんど
中身がまるでない。
過去との接続とか生活感とか。

巨大前方後円墳とか、纒向遺跡もそう。

それに引き換え、高知の遺跡はものすごく本質的。

全ての遺跡の配置に理由がある。

浦戸湾最奥に巨大寺院ができるのは納得がいく。

寺院の前には必ず池がある。
浦戸湾は巨大な池、こんな地形はどこにもない。

東には賀茂氏の土佐神社。
北のせりあがった山々には豊富な水と台地上の平野がある。


これに関連することは『土佐邪馬台国について』(けんちゃんの今すぐ実行まちづくり)
でも少し触れました。

高知の人にはもっと歴史に興味を持ってもらいたい。

なんとなく住みゆう自分の土地には
ものすごい歴史が眠っちゅうがやき。



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無題
32年前に上京して以来、故郷のことをあまり考えずに今日まできましたが、関東圏にも秦の地名に関する考察が多々あり、新潟出身の土佐さんという方とも出会うことを通じ、日本と高知の歴史に興味を持ち始めました。そんな中、この話すておけず、と言った感、大です。
ぱあぼお 2010/06/06(Sun)16:49:36 編集
Re ぱあぼおさん
ぱあぼおさん、こんにちは!
書き込みありがとうございました。

私も10年以上東京にいましたので関東圏の秦に関しても随分調べました。あまり注目されてませんが相模国の秦野や伊勢原は極めて重要でありサガミのサは土佐のサ(サの神)です。

土佐に関して言いますと土佐神社は高知だけでなく県外にもあります。また、奈良の吉野の降り口に土佐街道、青森には十三湊(とさみなと)などがあります。ほんまに捨ておけない話ばかりです。

秦に関しては、幡多国という古代の国が最も重要であると思います。

ナカちゃん 2010/06/07(Mon)14:32:56 編集
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