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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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土佐の宗教史 (廣江 清さんの遺稿集)

ふいにでくわしました。

これはすごいですね。

尾崎知事に是非、熟読して頂きたい内容ですね。


このボリュームと洞察はほとんどの場合
地元の貸し出し禁止の図書にしか書いてないような内容です。

Webに掲載しちゅうのはほんとにすごいことですね!
助かります。

今、これほどのことが書ける人が高知におるか言うたら
どうながでしょう?

今のところ自分は知りません。

とりあえず紹介まで。

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秦地区の史跡(一)(高知市歴史散歩) 

上の記事に秦泉寺の古代が書かれちゅうがやけど

実はこれはものすごく重要。

日本史を覆すことになるかもしれん素材やね。
まあ、自分は”高知がヤマト”やってことを言いゆうき驚かんけんど(笑)

 秦泉寺廃寺跡IV(高知県埋蔵文化センター)

上の資料の44ページにも指摘されちゅうがやけんど
この秦泉寺のすごいところは古墳時代から白鳳時代に
スムーズに移行しちゅうこと。

秦泉寺の近くには古墳がどっさりあって
普通なら古墳時代から、寺院を中心とする飛鳥時代に移行するのであれば
軋轢は生じるはずで、文化の中心地も変わるはず。

でもこの秦泉寺はスムーズに移行しちゅう。

これは何を意味しちゅうかというと、この地域に住む指導者が
ものすごい知性を持っちょったということ。
(おそらく聖徳太子やろうと思うけど)
土佐山田は五角形の竪穴住居が出ちゅう。
これもまだどういうもんかわかってないね。
土佐山田は蘇我氏と関係が深い場所でもあるし
聖徳太子は蘇我系やし。

高知市と南国市に蘇我と物部と賀茂と秦
これらが密集して遺跡群と寺院跡を残しちゅう地域は他にはない。
これを調べたら畿内がどれだけ記紀史観で捏造されたもんかがわかる。

冗長すぎる遺跡分布と辻褄が合わん遺跡配置。


京都の広隆寺は7世紀の創建とされちゅう。

しかし、広隆寺は古墳時代との関連は指摘できん。

しかもこの秦泉寺の廃寺からは白鳳時代の遺物が出てきちゅう。
白鳳時代と言うたら白鳳の大地震。

ものすごい津波が襲ってきて、土佐でものすごい被害が出たって
日本書紀にぴっと書いちゅう。

しかもこの秦泉寺のあるところは中津と呼ばれちょった浦戸湾最奥の港。
津波が最も高くなって降りかかる場所。

波に飲まれて壊滅したというのは容易に想像がつく。

その後で古墳時代と関連のない広隆寺が創建されちゅう。

どう考えても高知が先。

聖武天皇が全国に国分寺の建立を命じたのは741年。

この秦泉寺のずっと後のこと。


奈良には土佐という地名もある。

飛鳥時代に土佐人が移住したそうな。
それもそのはず、白鳳の大地震で巨大津波を経験したら
もうこんなとこに住むのはやめちょこうと思うやろう。
都を置いちょったら国が潰れると思うやろう。

やき、南に山脈が存在する奈良盆地を選んだ。
土佐の津波は全部、南から来るきね。


壬申の乱はこの白鳳の大地震で土佐が壊滅したことを
隠すためにクーデター説を捏造したがよ。

現に壬申の乱架空説は最近、真実味を帯びてきちゅう。
土佐では蘇我も物部も仲良かったわけやし。

奈良では飛鳥時代以前の日本書紀に合致するような遺跡が全然見つかってない。
全ての遺跡が”~だろう”という推測。

見つかるはずがない。
飛鳥時代以前には奈良に都はなかったがやき。

奈良という地名は単に”国”を表す呼び名。
埼玉に奈良という地名もある。

西の田村遺跡群、東の居徳遺跡群、そして中央のこの秦泉寺廃寺跡
これを真剣に偏見と洗脳にとらわれずに洞察したら
土佐がヤマトっていうのは誰でも見えてくると思う。

奈良とか京都っていうのは、どでかい遺跡とか古墳とかあるけんど
中身がまるでない。
過去との接続とか生活感とか。

巨大前方後円墳とか、纒向遺跡もそう。

それに引き換え、高知の遺跡はものすごく本質的。

全ての遺跡の配置に理由がある。

浦戸湾最奥に巨大寺院ができるのは納得がいく。

寺院の前には必ず池がある。
浦戸湾は巨大な池、こんな地形はどこにもない。

東には賀茂氏の土佐神社。
北のせりあがった山々には豊富な水と台地上の平野がある。


これに関連することは『土佐邪馬台国について』(けんちゃんの今すぐ実行まちづくり)
でも少し触れました。

高知の人にはもっと歴史に興味を持ってもらいたい。

なんとなく住みゆう自分の土地には
ものすごい歴史が眠っちゅうがやき。



昨日けんちゃんがコメントをくれた成川さんの記事がすごいので
調べたらどんどんつながってきたので緊急で書きます。

送り犬『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニホンオオカミについて (けんちゃんのどこでもコミュニティー)

ニホンオオカミ絶滅記・異聞(JANJAN成川さんの記事)

JANJANの成川さんの記事に(高知県のニホンオオカミは、佐川町だけ「オオカミ」で
あとの地域では「ヤマイヌ」と表現)とありますがこれはすごい!


オオカミは大神と書いて、これはオオミワとも読みます。
これは奈良の三輪神社の語源になっていると思われるもので
実は伊野の椙本神社が三輪神社で
仁淀川は昔、三輪川と呼ばれていました。

奈良の三輪神社は蛇と密接に関わっている神社ですが
この蛇は仁淀川のことでしょう。
三輪は水と酒と蛇だけやなかった。
オオカミも密接にかかわっちょったがや。
ここまで条件が揃うたら、普通に考えたら土佐が大和やね。
日本神話では(奈良に)海から大国さんが来たいうて書いちゅうけんど
わざとらしい記述。
仁淀川を見たら全ての理由を説明できる。


JANJANの成川さんの記事の中にある横倉山から仁淀川を写した写真を見てください。
山あいを蛇行する仁淀川は蛇そのもの。
(実はこれが龍神ですが)
横倉山には安徳天皇の陵もあります。
ヤマタ(土佐山田・邪馬台国)のオロチ(越知氏)は封印されました。
大神神社は出雲近くに転写されています。

出雲の”後ろの正面”は土佐ながです。
カゴメは土佐が封印されたことを伝える民間信仰の詩です。

佐川の佐は”サの神”のサでしょう。
神奈川にもサカワがある。酒匂と書く。
相模はサの神のこと。伊豆から相模はものすごく気になるところ。
調査中ですが。

佐川の下流には日下郷があります。
草壁皇子の出身地と推定されるところです。


何回も言うけんど大和は高知やき。
高知県人は大和魂を取り戻さんといかん。
共存共栄、自由と平等の魂を。

大和魂言うたらなんかインチキくさい国家主義的なイメージが
付きまとうけど、実は全然違う。
ほんまは国家と正反対の意味を持つ。
人間一人一人の自由意志で成り立つ社会のことを大和と呼ぶがよ。
大和朝廷は全く逆やね。
それが土佐を封印したがよ。


たぶんまだオオカミはおると思う。


高知県人が目を覚ましたら出てくるやろ。

今はちょっと出てきにくいねえ。
犬(オオカミ)は人の心を読むきねぇ。

東京の真似して、思考停止して
自分の足元の自然とか歴史とか振り返らん人たちのところには
現れんやろう。

新堀川を破壊し続けゆう間は、バチが当たり続けるやろうね。

ルーツを否定するものには明日はない。




2008年5月4日(日)は越智啓子、講演会へ!
*会場・・・高知市文化プラザ かるぽーと
*午前・・・ワークショップ(インナーチャイルドの癒し)
午前の部は定員に達しましたのでキャンセル待ちとなっております。
*午後・・・愛と笑いの講演会

詳しくはコチラ

松岡正剛さんの千夜千冊<物部氏の正体>がおもしろい。

土佐邪馬台国をうまく説明できるき抽出してみる。


(引用はじめ)ホノニニギは猿田彦らに導かれて真床覆衾(まどこおうふすま)にくるまり、日向の高千穂に降りた。(引用おわり)

猿田彦は愛媛県の佐田岬の神格化。
佐田岬から九州入りしたがやろう。
天気のえい日は対岸の大分県が見えるほど佐田岬と大分県は近い。
それと同時に軍事的な重要な砦。


(引用はじめ)神武は45歳のときに、こんなことを側近たちに洩らした。「わが天祖(あまつおや)が西のほとりに降臨して179万2470余年が過ぎた。しかし遠く遥かな地では、われらの徳も及ばず、村々の長(おさ)も境を分かって互いに争っている。ついては、シオツチノオジ(塩土老翁)に聞いたところ、東のほうに四方を山に囲まれた美しい土地があって、そこに天磐船(あまのいわふね)に乗って飛び降りた者がいるらしい。(引用おわり)

神武が東征する頃は邪馬台国(土佐)と狗奴国(南九州)が
争っていた時代。
”われらの徳も及ばず”というのは神武の負け惜しみやろう。
既に饒速日は剣山から天降っている。→天忍穂別神社(玄松子さんより)

土佐・物部村 神々のかたち

高知平野も四方を山に囲まれている。
意外と南側の五台山などは見落とされがち。
介良三山などは立派な山。


(引用はじめ)そこから淀川をさかのぼって河内の草香邑(くさかのむら)に寄り、(引用おわり)

淀川→仁淀川(古くはみわかわとも)
仁淀川中流域は河内国
日下村は小村神社がある現日高村
草壁の王子はここの出身。
雄略天皇朝の都は朝倉
国常立の剣は小村神社にあり高知県の3つの国宝の中のひとつ。



(引用はじめ)かくて神武は進軍を始めるのだが、道が険しくて難渋する。そのとき八咫烏(ヤタノカラス)が飛んできて(引用おわり)

八咫烏はヤイロチョウ
ヤイロチョウとヤタガラス


(引用はじめ)神武はさっそく、シイネツヒコ(椎根津彦)に蓑笠をかぶらせて老父の恰好をさせ、弟には老婆の恰好をさせ、天香具山の土をとりにいかせた(引用おわり)

土佐神社のしなね祭で有名な”しなね様”は椎根津彦とも言われている。

大和は高知で国常立の剣は小村神社。
→ゆえに高知は自由平等思想が強い。
(合議制発祥の地だから→後世、自由は土佐の山間より)

大和三山は介良三山の転写。
一言主が土佐に流されたがは
土佐大和が奈良大和に転写されたのを隠すため。

675年に神刀が天武天皇に献上されています。
土左大神 神刀一口 とは何か?

京都の上賀茂神社・下賀茂神社から献上されなかったのはなぜか?
→なぜなら高鴨大明神は土佐が出元だからです。
鴨氏は邪馬台国のヤマタに大和の字を当てはめた張本人。
たかおかみ・くらおかみを奉じる大陸系の氏族です。
土木の秦氏とは蜜月関係。
やき高知では、秦と一宮(鴨)は隣り合わせ。
京都でもそう。


高知の鹿児は香具山


(引用はじめ)さっそく長髄彦は天羽羽矢(あまのははや)と歩靫(かちゆき)を差し出した。(引用おわり)

朝倉神社の祭神は天津羽々神
朝倉神社(玄松子)
朝倉神社は斉明天皇の崩御の地でもある。
雄略天皇の都。



(引用はじめ)そして、その地を「そら見つ日本(ヤマト)」と名付けていたということ(引用おわり)


ヤマトはヤマタ国(邪馬台国)の読み
漢字は大和→皆が和合するようにと願いを込めて
漢字をあてたのは加茂氏(土佐加茂)


(引用はじめ)ヤマトを守るために戦おうとしていた長髄彦の勢力からすると、神武一行を蹴散らすのは容易だったはずなのに、それをしなかったのはなぜなのか(引用おわり)

長髄彦は石鎚山系の素盞嗚本人かそれの一派
饒速日・アマテラスグループとはルーツが違う。


(引用はじめ)『日本書紀』はニギハヤヒがヤマト(大和=日本)の命名者だと書いているのだから、ヤマト朝廷のルーツもニギハヤヒにありそうなのであるが、その関係が見えにくい。(引用おわり)


ヤマトという読みは邪馬台国時代からの引継ぎですが
大和と書くようになったのは神武が即位してからだからやと思います。


補足で『ウィキペディア(Wikipedia)』神武天皇


(引用はじめ)この地を葛城と称した。これによって、磐余彦は中州を平定した。(引用おわり)

葛城→葛島
中州→五 百 年 前 の 高 知(四国のやまなみより)


(引用はじめ)『神武天皇31年、巡幸して、腋上の丘に登り、蜻蛉(あきつ)のとなめ(尾)に似ていることから、その地を秋津洲と命名した。(引用おわり)

高知市歴史散歩 トンボ信仰


と考えたら古代史の多くの謎が解ける。

土佐邪馬台国へもどうぞ。



2008年5月4日(日)は越智啓子、講演会へ!
*会場・・・高知市文化プラザ かるぽーと
*午前・・・ワークショップ(インナーチャイルドの癒し)
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*午後・・・愛と笑いの講演会

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雄略天皇は高知の朝倉を都にしちょったと思うけんど
(その理由は万葉集の日下への言及)

万葉集は雄略天皇を日本の開祖としちゅう。

それはだいたい当たちゅうかもしれん。

雄略天皇こそ応神天皇で

狗奴国の素盞嗚と邪馬台国のトヨが誓約して生まれた

国常立という価値を纏った完全な”和”の子供。


土佐神社の開基は雄略天皇期。

朝倉から一宮へ移ったかもしれん。


須崎の鳴無神社が土佐神社の元宮と言われちゅう。

この鳴無神社と土佐神社・しなねさま・手結とかは
全部”風”と”船”でつながる。


でも朝倉は”蛇”と”酒”、ちょっと対立があるようにも思う。



土佐神社のあるすぐ南に葛城氏の布師田がある。
意外と知られてないかもしれん。


奈良から葛城氏が追放されて高知に住み着いたというのなら
なんで雄略朝の早い時期に土佐神社が建てられるがな?


真実は全然違うところにあるやろう。

雄略天皇は土佐神社付近に遷都したがよ。

その時にできたがが土佐神社。


葛城氏(布師田)も、蘇我氏(南国市)も、日下氏(土佐市)
物部氏(物部)も、賀茂氏(鴨部)も、越智氏(越知)
秦氏(秦)も皆、勢ぞろい。

なんせ、高知市が国常立の舞台やき。

土佐国二宮の小村神社が狗奴国と邪馬台国
が和睦を試みた最初の場所。
ここで国常立思想が生まれる。

金銅荘環頭大刀拵太刀身 (日高村ホームページより)

小村神社(高知県 文化環境部 環境保全課より)



浦戸湾には怪しい島もぼこぼこある。

玉依姫の島よ。


埼玉ではワカタケルの鉄剣が出ちゅう。

このワカタケルは雄略天皇と言われゆう。

高知から埼玉?

かなり遠いで?


でも良く考えたら埼玉から奈良へ歩いて行くより

高知から埼玉へ帆船でびゅーんと行くほうが早いと思う。
そういう意味では畿内は不便。


ひょっとすると、古墳時代はものすごく高速航海の時代やったかもしれん。


しなね様は風の神さまという説もある。

一気に関東まで駆け抜ける航海技術を当時の
高知県人は身につけちょったかもしれん。


それやったら当時、日本の首都やったと考えても合点がいく。

高知の地形は南に大きく翼を広げた日本で唯一の地形。

帆船の時代やったら、最も強力な軍事力を持ったかもしれん。



(引用はじめ)
『倭の地は温暖で、冬も夏も・生(野)菜を食する。
(倭国は)真珠・青玉を(産)出する。その山には、丹(あかつち)がある。
・薑(しょうが)・橘(たちばな。または、こみかん)
・椒(さんしょう)・みょうががある。
父子や男女による (区)別がない。
人の性(情)は、酒をたしなむ。
盗窃(ぬすみ)せず、諍訟(うったえごと)はすくない。』
(引用おわり)
<邪馬台国の会より>


邪馬台国時代の風俗はこれやし。

橘なんかは南でしかとれん。


とにかく、高知が首都やった時代のことについても

もっと掘り下げる必要があるちや。

いつまでも流刑地史観を持っちょてもいかん。
それが経済衰退の一因でもある。

限界を超えろ、桓武天皇派の洗脳を打ち破るのだ!(笑)



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夜須が日本神話の天の安河やないがかと考えちゅうわけやけど

手結もやっぱり怪しい。

つんつく踊りも八大龍王宮も

手結はおそらく万葉集の手結(たゆい)が浦↓からきちゅうとは思いますが

巻第三・367 笠金村の歌(万葉集に親しむ)



万葉集が怪しいというのは良く知られたこと。↓

古今伝授の正体は何か
(暗号山上憶良より)

なぜかって言うと、ものすごく偏っちゅう。

鯨魚とりに関しても高知が出てきてない。↓

万葉集: 鯨魚(いさな)を詠んだ歌
(たのしい万葉集より)

捕鯨文化『ウィキペディア(Wikipedia)』


高知が開けてなかったというのは嘘。

高知は縄文・弥生時代から他の地域に劣らず先進的な地域やった。


太平洋に開けた今でもホエールウォッチングをやりゆう高知を
詠んでないのはおかしい。
これだけやない。高知のことは全然詠まれてない。


でも紀貫之は土佐日記を書いた。

これについては土佐弁レボリューション も参照願いたい。


高知が辺鄙なところで文化的土壌がないところやったら
鹿持雅澄なんか絶対に生まれてこん。
こういう国学者は過去の蓄積した歴史を背負って生まれるがやき。
土佐文学の礎(高知県立文学館より)

谷秦山と武市瑞山を前後の代に持っちゅのはものすごくおもろい。



それでなぜか知らんけんど正史に最初に出てくる
土佐の記述は”土左大神 神刀一口”(これは自分のサイト)


剣が三種の神器やった時代にです。

しかも朝倉宮は福岡よりも高知のほうがビンゴ。
朝倉橘廣庭宮は土佐の朝倉神社(これも自分のサイト)


これだけ条件が揃えば土佐が封印されてきたことはすぐにわかる。


卑弥呼が隠れたのは龍ヶ洞やし。


話を戻すと、手結という地名は島根にもある。
鯨もとれよったみたい。↓

化鯨『ウィキペディア(Wikipedia)』


でもこういうことがよくある。
高知の地名が出雲に転写されちゅうのは。


ここがものすごくひっかかるところ。

自分は出雲からの国譲りなんかなかったと思うちゅう。

大和に国を譲るのは邪馬台国やし
邪馬台国やったら卑弥呼を共立した自由思想がないといかん。
自由思想の本拠地やないといかん。
その他もろもろは土佐邪馬台国


一言主が土佐に流されたのも偶然やない。

土佐神社が賀茂なのも偶然やない。


日本神話のはじまりは土佐


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あんまり知られてないかも知れんけど
田んぼにはオサバイさんという神さまがおる。
いや、おった。

それを信仰せんなったき田んぼは荒れた。

ほんで日本人も荒れた。

サバイというのはサの神さまやと思う。


常盤木を依代にして山から降ろしてきたのは
このオサバイさんやろうと思う。

サバイサゲいうサニワがサの神を降ろしよった。

サニワのサもたぶんサバイのサやと思う。
サバイサゲいうていうのもおもろい。


サクラのサでもある。

サの神さまが入って田植えの時期を知らせてくれるき
サクラは桜と呼ばれゆうと思う。

オサケのサもそうやろ、たぶん。

その桜の下で酒を飲むのは理にかのうちゅう。

だって神さまのお祝いやき。

仁淀川財産目録のさばい項にぴっと、のっちゅう。

虫送りのこの紹介ページもすごいですね。
サイトコベットコサイノボリらあていう弥生時代の口語のような
掛け声を文章で持っちゅうのはすごい!
こんながは日本のどこでも見たことがない。

斉藤別当実盛がこの祭りの起源みたいなことが書かれてますけど
自分はどうしても違う解釈をしてしまう。
斉藤別当実盛は後世の付会(大和朝廷による)ではないがか。

何でかって言うと、最後のノボリっていうがは
西っていうのと重なる。
サ(稲の虫)がノボルっていうがは
あっち行けとか、もう一回サの神さまになってもんてこいとかいう意味。
神降ろしは逆にサゲルって言う。上にも書いたサバイサゲよねぇ。


サイトコ=サの神さま(稲)に

ベットコ=べったり張り付いた虫

サイノボリ=西へ上って(死んで)もう一回
      サの神さまとして、もんておいで

(これはコイノボリとも繋がる響き、原型やないろか
子供の成長を願ってノボリを立てるがは
サの神さまが毎年帰って来るきやろ、オサバイさんのノボリと一緒
写真見てもそう。一般に解せられちゅうこいのぼり起源論は全く違うと思う。
おそらくオサバイさんまで遡れる、やき高知はこいのぼりが盛んながよ)

という意味やと思う。虫送りは、そういう行事やろ。


サの神が高知から始まったことの有力な状況証拠になりますね。
それは土佐邪馬台国の傍証でもあるがですけど(笑)


やき、日本人にとってはほんまに重要な神さま。

ないがしろにしたら罰が当たる。

実際、罰が当たっちゅう。


オサバイさんは大事にせんといかん。

ほんなら山も大事にされる。
水も大事にされる。
ほんなら川も大事にされる。

ほんで自給率も上がる。

えいことばっかりやいか。

でも、農業をやる人がおらんがか(笑)めったねぇ。

でもオサバイさんのお祭りだけでもやりよったら
人も集まるかも知れん。


オサバイさんのサはトサのサでもあるがやない?

日本神話で淡路島の次にできた最初の陸地は四国。

いざなぎといざなみは石鎚山と剣山やし。

この神話ができたのは明らかに弥生時代でオサバイさんの時代。
邪馬台国の時代でもある。

サヌキはサの神が抜けるところやろ。

トサはサの神さまの入り口(戸)やない?


それが、淡路島に抜けて、神戸に抜ける。

ほんで淡路島は重要ながよ。

日本神話は土佐の神話。



またこれもまんざらでものうて。

土佐山田が邪馬台国いうていよったおんちゃんもおったらしいけど
おれ、かなりあれあたっちゅうと思うで。

この前の神話の時代からちょっと下った
弥生時代から古墳時代にかけての高知ながやけど
当時は2つにわかれちょったと思うがよね。
それが波多国と都左国に後継されていくがよ。

先にさかえちょったがは波多か都左か。
そんな論争が今でもあるやんか?
それは邪馬台国と狗奴国の争いやね。

波多のほうには、土佐佐賀(須賀留って地名すごいよねぇ、あと熊野浦も)
、土佐加茂、国名の波多など
蘇我氏、鴨氏、秦氏がどっさりおるがよね。

中村の神社にある七星剣とか高知坐神社、加茂神社は
こじゃんと大和と直結しちゅうやんか。

でも高知の東部には鴨のにおいがほとんどせんがよね。
なぜなら物部川周辺以東は物部氏の結界やったき。
物部系は鏡というのがキーワードながよね。
それは卑弥呼でもあるがよ。
香北町に日ノ御子ってあるろう?
あそこはおそらく卑弥呼の降神行事に関係した場所やと思う。
その物部川の下流に岡豊(昔は豊岡)があるわけやんか。
それは豊受姫で卑弥呼の後継の宗女(降神)でもあると思うがよね。
それは伊勢の外宮の豊受大神でもあり、稲田姫でもあり
ウカノ御霊、すなわちお稲荷さんの大元でもあるがよ。
それが岡豊ながって。

あそこはすごくて、実は昔、物部川と国分川が
つながっちょったみたいながよ。
これはほんまに重要で、邪馬台国の七万戸の人間を養うためには
どうしても必要な条件やと思うで。エジプトはナイルのたまものっていうろう?
岡豊は物部川のたまものよ。
豊穣な三角州ができるがよね。

もうひとつ奇跡的ながは湾をはさんだ西向かいの朝倉以南にも
それができちょった可能性があるがよ。
おれの友達は枝川やったけど雨がちょっと降ったばあやのに
いっつも浸かった、浸かったいうて学校遅刻してきよったがよ。
お前ほんまかや?なんでこんな雨で浸かるがな?って
枝川は名前の通りあそこつながるろう、鏡川と仁淀川が。

物部系は豊穣な土地を豊岡って呼んで
鴨系は高岡って呼ぶがちや。

たかおかみのたかよ。
だから西のほうには朝倉神社とか荒倉神社があるろう?
倉はくらおかみのくらながちや。
弘岡は朝倉宮広庭のことやと思う。

明らかに高知の東と西は文化が違うがちや。
その違いっていうのはなんかやっぱり
民族とか信仰の違いやき争いを生むと思うがよね。

ほんで仁淀川は三輪河とも呼ばれよったろう。
こちらにも書いちゅう。
http://www.pref.kochi.jp/~kankyou/tosa/6100-02.htm
土佐の文献の『南路志』という本にものっちゅうらしいけんど

(ここにのっちゅう大刀の双頭の龍は物部川と仁淀川を想起させるね
それが土佐神社で和合して<玉は玉依姫やろ>国常立尊ができました
っていうことやと思う)

土佐神社って鴨で西には秦泉寺の秦があるやんか。
ここでもべったりくっついちゅうがよ、鴨と秦が。
でもその北には物部系の鏡がある。拮抗しちゅうねぇ~。
トヨの後はどうなっつろうねぇ。

でも東は鴨がないき、一宮から今度は京都へ直接行ったがやない?
京都でもべったりくっついちゅう。確信犯で。
理由はなんやろね。
権力を取りにいきゆうがか?それとも破壊しにいきゆうがか?
どっちな?ここ、大事やぞ。
しかし、鴨はぎっちりどっかへ行きゆうねぇ。



結局トヨの後のことは文献がないき。

でも雄略天皇の初瀬朝倉宮っていうのは
大和朝倉と三輪山の配置を見る限り
どう考えても高知の朝倉神社を想起させるがよね。

雄略天皇が大悪天皇で一言主を土佐に流したいうけんど
全部創作かもしれんで。

実は雄略天皇は土佐人で朝倉を大和に移植したがかも知れん。
だから斉明天皇が朝倉神社に帰ってくるがちや。

でもそれは隠しちょかないかんき
藤原氏は土佐、伊豆、安房とかを流刑の地にしたがよ。
聖武天皇は藤原時代やろ?
全部、鴨やん。
おかげで邪馬台国まで封印されたちや。
高知には国が2つあったがやのに。


雄略天皇の母親は忍坂大中姫という人で
うんと気性が荒かったいうけんど、単なるはちきんという
ことながやないがか?まあえいわ。


何を書きよったか忘れよったけんど
結局、卑弥呼の墓って高天ヶ原山じゃないがか?
ってことながちや。あそこは実際に古墳やきね。
介良にUFO出るし(笑)卑弥呼の鬼道よ。
あそこ岡豊の南やんか。トヨが宗女となって卑弥呼の陵を見ながら
葦原中国を治めるには、えい場所やねぇ~。


結構、高知ってなんかわけわからん、小山がぽこぽこない?
平地に?あれ全部古墳やないが?
斉明天皇の陵って誰か調べたがやろうか?


結局そういう遺跡の発掘って、県の経済力が影響するろう?
よく知らんけど。
高知はまだなんか核心は全然掘られてないような気がするちや。

http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~maibun/contents/6_sites_in_kochi/index.htm
こちらの考古学コラムにも書かれてますけど
弥生時代も、ものすごい人口移動があったみたい。
でも弥生の後期、まさに古墳時代の幕開けの時期に
高知に、がっと人口が移動してくるがは土佐山田(?)が
邪馬台国であるというひとつの根拠よねぇ(笑)
それまで倭国大乱しよっていきなり女王が共立されるがやも。
その共立された女王の都に、がっと人が集まってくらーねぇ、当然。

邪馬台国って、やまだ一国のことやない?
おい、笑かすなや。


この構図やったら狗奴国(波多)の後ろに南九州がおるき
戦力は拮抗するわねぇ~。
しかも両方、中国へ抜けれる。ビンゴやない?


邪馬台国には家がこじゃんとあったみたいなけんど
七万戸いうたら、2、30万人やきねぇ。
いや、今の高知市の人口とおんなじじゃいか。
ひとり一個竪穴住居を見つけることにしよう。
どんながな。
えいのか、ようないがか、微妙やにゃあ。


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