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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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本来、資本主義は、家内制手工業からマニュファクチュアに発展してきたものであり、地域や社会というものが前提に存在し、いかに効率よく分業を行うかに重点が置かれていた。日本においては、この時点で”儲かる”という概念は、一部の商人に限られていて、自分の”技”を使って、分業に寄与・貢献し、その結果返ってきた対価を受け取る、というのが普通の考え方であった。


それが戦後資本主義が増大するにつれて、”儲けるのは当たり前”、”仕事だから仕方がない”、”大人になるということはそういうことだからしょうがない”というような非論理的なロジックを一般の日本人(特にリーマン)は、使用するようになった。


その、”しょうがない”、”仕方がない”という意味の言葉が実は土佐弁にはない



その替わり、”ざっとしたことすな”という土佐人が多用する言葉がある。



”適当なことをしないように”というような意味で説明されるが



土佐人自体が適当でおおざっぱであるにも関わらず、適当なことをするな、というワードを強調はできないはずである。



”ざっとしたことすな”の心性を分解していくと、地域社会を前提とし、ひとりだけ儲かったり、誰かを出し抜いて先んじたり、順番を守らなかったりするなどの行為に対して、拒否反応を示すことがわかる。



つまり、土佐弁が赦している資本主義経済発展の最高形態は家内制手工業であり、



江戸時代末期まで土佐藩が雄藩だった理由は、土佐弁にとっての資本主義最高形態がそこであったからなのである。



従って、高知県が戦後の経済発展に遅れた、という見方は誤りであることに気付く。遅れたのではなく、あえて選択しなかった、土佐弁自体がそれを選択させなかったということなのである。


高知県人が”進取の気質に富む”というのは、高知県の歴史年鑑にも公式に記載されている性格である。


安田町の野村茂久馬が戦後の早い段階でフォードと提携しようとしていたり、高知自工のトクサンという3輪大型トラックが関係者から垂涎の的であったりとマニュファクチュアの前哨部分までは土佐弁によって赦された土佐資本主義はよく機能していたのである。




”高知家”というのは、そのような発想から出てきたものであり、高知県民がそれを追認しているのは、大方、土佐弁の意識から乖離していないから、多くの土佐人はそれを批判しないのである。



逆に言えば、神話の時代から全く県境が変わっていなくて、その最終形態が土佐藩であり、国家として統一されたけれども、なぜか戦後資本主義(および工場制機械工業)も潜在的には受け入れてないのであるから、日本が戦後資本主義を乗り越えようとする時、土佐弁の精神を理解し、江戸の持続可能な社会を再生しようとするのは理に適った行為ということになる。





別の視点からも見てみよう。


台風や地震が来て高知がなくなったらどうする?という質問を土佐人にすると


”来たら来た時のことよ!”


という答えがだいたい返ってくる。



これはかなり適当である。準備をするとか備えをするとかの感覚がないことがよくわかる。



しょうがない、仕方がない、と受け入れるのではなく、明日のことなんか知るかよ、今日の酒がうまかったらそれでえい。というような精神がありありと出ている。アリとキリギリスで言えば完全にキリギリスではないか。高知家総キリギリスなのである。



ただ、本来、日本人全体としてもそういう傾向が強かったにも関わらず、”コツコツ”や”一生懸命”という新しい価値で日本人を統制しようとした薩摩や長州の狙いは一体どこにあるのだろうか?


土佐は常にオルタナティブであり、古い日本人のタイプである。



長宗我部元親は織田信長と提携をし、信長が目指した帝国主義ではなく連邦制を目指したし


江戸末期においても薩摩や長州が目指した大日本帝国ではなく、植木枝盛の思想にも代表されるように連邦制を志向し、自由民権運動を展開したし


戦後においても帝国支配主義的なグローバリズムではなく連邦制的資本主義を目指したとも言える。ただ、長宗我部元親や坂本龍馬が時のメインストリームと対決したような構図は、今の土佐には薄い。


しかしながら、歴史を俯瞰すれば過去、何度もそうであったように、グローバル資本主義と対決する思想がこの高知から産まれ、それがまた連邦制を志向するのは、歴史的必然でもある。



その連邦制が過去に一度だけ成功したことがある。それが邪馬台国である。土佐人は当然、そこに戻ろうとするし、周辺地域の古い人たちもそれを感性で理解できないわけではない。しかし、それはあまりにも古く、歴史的にも証明されていない。



しかし、この仮説は、いつの時代も真実味を帯びる。



では、なぜ流刑の地とされた辺境の地、土佐から国を揺るがす思想が生まれてくるのか?


中央から土佐に要人が流されてきたからだ。という仮説にはうんざりである。前回の一言主の例にも掲げた通り、それはあまりにも非論理的過ぎて馬鹿げている。




船が主要な交通手段であった時代、南に向かって広く広がっている”九十九洋(つくもなだ)”と呼ばれた土佐湾を眼前に持つ土佐が【帆船時代の首都】であったことは、小学生でも容易に想像がつく。その容易な想像ができないほど、日本人のIQは落ちるところまで落ちているのである。




先日、長野県に行った時に、武田勝頼が土佐に落ち延びたという話をしたら、普通に知っていた。もはやオフィシャルになりつつあるのだろうか。こちらが驚いた。


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