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《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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先日、Oさんと話したのだが、移住者と現地の人をつなぐUターン者がもっと機能しなければならないと。

もともと、高知はまとまりのない、自由な個人の集団だが、主張は違ってても飲みに行きたがる傾向と心性は共通している。

つまり、高知市がコミュニティの同調圧力が比較的低い都市とは言っても、その伝統には深い理由がある。

日本人が自由を連想するとき、そこには、西洋人が教会や信仰でつながった上での自由は連想しえない。キリスト教をベースとする西洋社会でいうところの自由とは、つまり、キリストの根幹を揺るがす自由はない。裏を返せば、キリストを認めてさえいれば、どんな自由も認められるのである。どのような社会でも、当然、このようなひとつ以上の制限がある。


それが限りなく少なければ自由社会になり、制限が多ければ多いほど独裁社会となる。


では、日本で制限が極限に少なくなり、自由が最大化された社会とはどのようなものか?


これを考えると、なぜ日本人が西洋の〝自由と民主主義〟を理解できないのかを知ることができると同時に日本人にとっての〝自由〟とは何かを知ることもできるのである。


ここで高知における〝自由と制限〟について考えてみよう。


これは、飲みの席で最も顕著である。それぞれの主張は認めても返杯を拒むのは認めない。

この文化を考えていくと面白い。返杯を大量に飲んでも主張が弱い場合も良しとされない。

つまり、自由への圧力とコミュニズムの圧力が同時に働いていることになる。

〝けんど、おまんそう言うてもわしはそう思わんぜ〟と顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら〝おきゃく〟の席で激論する光景、高知の人間なら一度は目にしたことがあるだろう。

それが偶然の産物ではなく、必然の産物であったとしたら、そのルーツはなんなのか、ということになる。主張を半ば強制的にさせて酒の返杯によって同志意識を植え付け、唾と踊りで融和させていく。

しかも、その主張が老若男女、最終的に政治的なものになっていくのはなぜなのだろうか?

これこそまさに多くの異文化の渡来人が住み着き、大同団結して大和國を作った日本の国家始原そのものではないか。

現在の高知には、王という存在はいないが、古代、王は酒であり、酒は王であった。酒解神というのもそれである。愛媛県の一ノ宮に祀られるオオヤマツミである。


高知の山間部に行けば行くほど、酒で死ねたら本望、という思想が濃くなってくる。これは、自分の命よりも酒解神が自分の命の運命をも決めるという運命論に似ている。ギリシャでいうところの運命の三女神に命を預けるということである。


これらを考えていくと色々なものが見えてくる。日本人が認識するところの〝自由〟とは、コミュニズムが強力に働く下での制限された〝自由〟を意味する。つまり、西洋人が宗教的政治的権威から逃れるために作った〝自由と民主主義〟・〝法と近代国家〟などの形而上の概念は明治時代の日本人ならまだしも〝問う〟ことを忘れてしまった戦後の日本人の腑に落ちるわけがないのである。


明治時代の日本人も150年後の日本人の知性レベルがこれほどまでに低下するとは予想だにしなかっただろう(しかし、白洲次郎は見抜いていた)。


ここで何回か紹介もしたが、世界を放浪してなぜ高知にたどり着くのか、という原因の中に〝結局、俺は日本人だから〟という諦めにも似た言葉がある。自分もヨーロッパに長いこと行っていて帰りの飛行機で日本人の集団に出くわした時の安堵感は異様なものだった。思考ではこれほどまでに戦後の日本を軽蔑しているにも関わらず、民族としての肌感覚は安堵をもたらしたのである。


日本人として他者との繋がりが楽しく濃いところに住みたい、と同時になんでもかんでも主張したがる西洋的な人格になってしまった自分を放棄できない、を満たす土地は、日本では、ここ高知しかない。


話しを最初に戻すと高知のUターン層は、大学卒業後と定年後という2層しかない。意識高い系の中間層は是非、帰還すべきと考える。8(中央集権にぶら下がった組)の方ではなく、2(常識を覆してる系)の方につながらないと高知は面白くない。→高知ニッパチの法則
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