《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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”元親と龍馬をつなぐモノ”のことを昨日書きましたけんど、自分的にはもう少しいじくって”元親と龍馬をつなぐミノ”という風にしたいと思います。
元親と龍馬をつなぐモノとして、全然関係ないように思われますが、山内家も重要です。山内家も光秀と同様、美濃の出身で、家康に取り立てられて土佐にやってきます。
吉田東洋が山内家の遠い親戚やったき、重用されたなんていうお話も宅間館長からありましたが、土佐は古くから南向きの内湾を持つ『美濃・尾張・三河』や『相模・武蔵』とこじゃんと密接な関係があります。
この謎を解くがが”黒潮海人族”であり、アテナイの文化を享受する以前にフェニキアの海人族の文化が根づいちょったがですね。
このアテナイのギリシャ・ローマとフェニキアは淡路島によく似たシチリア島の領有権を巡って衝突するわけですが、どちらにも渦潮が存在します。
日本神話がなぜ、淡路島から始まるかは、ギリシャ・ローマとフェニキアの関係を調べたら半分くらい理解できます。
土佐と美濃、相模の深いつながりは、実はその頃から始まっちょって伊豆の制海権を握っちょったとされる悪神・天津甕星は常陸でヤマト朝廷に討伐され、美濃付近の両面宿儺も、そして土佐の八面大王も、次々と帝政ローマの帝国主義思想によって滅せられていきました。
ここまで考えて初めて、なんで元親・信親親子が色白・長身・美男子で秦の始皇帝の末裔を公言しよったかがわかってくるがやないかと思います。
中国はあまり公にはしませんが、秦の時代の人夫の中に白色人種が紛れ込んでおり、少なくとも秦が共和制ローマの影響を受けちょったことは間違いがないわけであり、それから数百年後にはネストリウス派も唐に根付いたわけやき、現代人が考える以上に地中海沿岸と極東との宗教意識や文化レベルにはほとんど格差がなく、西洋・東洋という価値観が出てこんほど東と西の文化融合は深いものであっただろうと思います。
そういうイメージを沸かさんようにしちゅうのは、”進化論”や”大航海時代”という西洋の間違った学問であり、それらを糺すためにも”元親と龍馬をつなぐミノ”の風を土佐から起こしていかないかんと思います。
これが学術的に何を示すかというたら、日本の文明の形成には朝鮮半島経由と黒潮経由の2つの文化伝播ルートがあったということ。
お米雑学にも書かれている通り、米の伝播ルートである朝鮮半島経由の温帯ジャポニカと黒潮経由の熱帯ジャポニカは、平安時代頃まで混在して栽培されていたそうなんですね。
街づくりカフェ・街カフェTVの藤島さんは、この2つの伝播ルートを仏教に焦点をあてて北伝・南伝と呼んじょりますが、自分はお米の伝播『ウィキペディア(Wikipedia)』にこじゃんと興味があります。高知の二期作はおそらく、ものすごく古い起源を持っちゅうと思います。
朝鮮半島経由のほとんどの先進文化が温帯ジャポニカとともに日本に入ってきましたが、じゃあ一体、熱帯ジャポニカとともに日本に入ってきた文化はなんやったが?というところですね。
お米雑学の中でも言及されちゅう高知の登呂遺跡と言われる下分遠崎遺跡からは熱帯ジャポニカが出てきちゅうがです。それだけならまだしも下分遠崎遺跡がある香我美町は都の造りをしちゅうき、さあ大変ということながです。
正規の日本史では朝鮮半島経由の文明から日本人は文明を享受して律令国家を形成していったとされちゅうき、熱帯ジャポニカの連合国家があったらいかんがですね。
結果を先に言うたら、結局、朝鮮半島経由の温帯ジャポニカ文化は最終的には帝政ローマの帝国主義を文明の極限として完成されたがですけんど、黒潮経由の熱帯ジャポニカ文化の最終形態は、共和制ローマ・フェニキア女神崇拝の連邦制連合国家を極限としちょったということながですね。
それが日本海の越前秦氏を祖に持つ織田信長と黒潮の土佐秦氏を祖に持つ長宗我部元親の深い深いイデオロギー対立の裏側ながですね。
この問題は、日本という地政学的見地から見た根本的問題でもあり、帝政の本能(絶対王政)・共和制の本能(一君万民)、この2つが象徴的に衝突したがが、本能寺の変ということになろうかと思います。
さらには、神道で用いられる柑橘類は明らかに南方系であり、魏志倭人伝に記された邪馬台国の植生も明らかに南方系のものながです。
また、五男三女八王子の筆頭・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳『ウィキペディア(Wikipedia)』にも代表される勝男(カツオ『ウィキペディア(Wikipedia)』)は、黒潮を北上する回遊魚であり、日本神話が太平洋側からできたことは明らかであり、神社建築の鰹木『ウィキペディア(Wikipedia)』も黒潮文化圏で発生したがは容易に想像がつきます。しかも日本で唯一、天忍穂を冠した神社が香我美町にあるがですよ。八面大王伝説もそこやし。
鰹節は、御饌(みけ)『ウィキペディア(Wikipedia)』においても重要な位置を占めます。
これを総合して考えたら、天武天皇以降、あるいは菅原道真以降、何が封じられ何が力を持ち続けゆうかを想像することはシンヨイことやろうと思います。
沖縄と高知の宗教文化がつながったら、即、邪馬台国を意味するき、温帯ジャポニカ文化圏の人たちやアメリカ人の方たちはこじゃんと都合が悪いわけです。
米軍はどういたち日本の南伝ルートを切っちょかんといかんがです。石油においても文化においても。文明の起源とされるシュメールの文化をバビロニア・フェニキア経由で多くを輸入し文明の根幹に維持し続けた日本国に原爆を落としたとあっては、アメリカ自体が悪の枢軸国になるからです。
対英米開戦後の最初の作戦・マレー作戦『ウィキペディア(Wikipedia)』を成功させてマレーの虎と言わしめたがが大豊町出身の山下 奉文(やました ともゆき)さん『ウィキペディア(Wikipedia)』。南方系ルートを開くがはどういたち土佐、もしくは熊野しかない。
結局、高知は南国土佐やき、その気候から性格が沖縄とか南方系の人たちのオープンさ・明るさにシンクロするわけやき、どういたち京に最も近い南方系の急先鋒として攻撃したりされたりという立ち回りをせんといかんがです。損な役回りやけんど仕方がない。
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元親と龍馬をつなぐモノとして、全然関係ないように思われますが、山内家も重要です。山内家も光秀と同様、美濃の出身で、家康に取り立てられて土佐にやってきます。
吉田東洋が山内家の遠い親戚やったき、重用されたなんていうお話も宅間館長からありましたが、土佐は古くから南向きの内湾を持つ『美濃・尾張・三河』や『相模・武蔵』とこじゃんと密接な関係があります。
この謎を解くがが”黒潮海人族”であり、アテナイの文化を享受する以前にフェニキアの海人族の文化が根づいちょったがですね。
このアテナイのギリシャ・ローマとフェニキアは淡路島によく似たシチリア島の領有権を巡って衝突するわけですが、どちらにも渦潮が存在します。
日本神話がなぜ、淡路島から始まるかは、ギリシャ・ローマとフェニキアの関係を調べたら半分くらい理解できます。
土佐と美濃、相模の深いつながりは、実はその頃から始まっちょって伊豆の制海権を握っちょったとされる悪神・天津甕星は常陸でヤマト朝廷に討伐され、美濃付近の両面宿儺も、そして土佐の八面大王も、次々と帝政ローマの帝国主義思想によって滅せられていきました。
ここまで考えて初めて、なんで元親・信親親子が色白・長身・美男子で秦の始皇帝の末裔を公言しよったかがわかってくるがやないかと思います。
中国はあまり公にはしませんが、秦の時代の人夫の中に白色人種が紛れ込んでおり、少なくとも秦が共和制ローマの影響を受けちょったことは間違いがないわけであり、それから数百年後にはネストリウス派も唐に根付いたわけやき、現代人が考える以上に地中海沿岸と極東との宗教意識や文化レベルにはほとんど格差がなく、西洋・東洋という価値観が出てこんほど東と西の文化融合は深いものであっただろうと思います。
そういうイメージを沸かさんようにしちゅうのは、”進化論”や”大航海時代”という西洋の間違った学問であり、それらを糺すためにも”元親と龍馬をつなぐミノ”の風を土佐から起こしていかないかんと思います。
これが学術的に何を示すかというたら、日本の文明の形成には朝鮮半島経由と黒潮経由の2つの文化伝播ルートがあったということ。
お米雑学にも書かれている通り、米の伝播ルートである朝鮮半島経由の温帯ジャポニカと黒潮経由の熱帯ジャポニカは、平安時代頃まで混在して栽培されていたそうなんですね。
街づくりカフェ・街カフェTVの藤島さんは、この2つの伝播ルートを仏教に焦点をあてて北伝・南伝と呼んじょりますが、自分はお米の伝播『ウィキペディア(Wikipedia)』にこじゃんと興味があります。高知の二期作はおそらく、ものすごく古い起源を持っちゅうと思います。
朝鮮半島経由のほとんどの先進文化が温帯ジャポニカとともに日本に入ってきましたが、じゃあ一体、熱帯ジャポニカとともに日本に入ってきた文化はなんやったが?というところですね。
お米雑学の中でも言及されちゅう高知の登呂遺跡と言われる下分遠崎遺跡からは熱帯ジャポニカが出てきちゅうがです。それだけならまだしも下分遠崎遺跡がある香我美町は都の造りをしちゅうき、さあ大変ということながです。
正規の日本史では朝鮮半島経由の文明から日本人は文明を享受して律令国家を形成していったとされちゅうき、熱帯ジャポニカの連合国家があったらいかんがですね。
結果を先に言うたら、結局、朝鮮半島経由の温帯ジャポニカ文化は最終的には帝政ローマの帝国主義を文明の極限として完成されたがですけんど、黒潮経由の熱帯ジャポニカ文化の最終形態は、共和制ローマ・フェニキア女神崇拝の連邦制連合国家を極限としちょったということながですね。
それが日本海の越前秦氏を祖に持つ織田信長と黒潮の土佐秦氏を祖に持つ長宗我部元親の深い深いイデオロギー対立の裏側ながですね。
この問題は、日本という地政学的見地から見た根本的問題でもあり、帝政の本能(絶対王政)・共和制の本能(一君万民)、この2つが象徴的に衝突したがが、本能寺の変ということになろうかと思います。
さらには、神道で用いられる柑橘類は明らかに南方系であり、魏志倭人伝に記された邪馬台国の植生も明らかに南方系のものながです。
また、五男三女八王子の筆頭・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳『ウィキペディア(Wikipedia)』にも代表される勝男(カツオ『ウィキペディア(Wikipedia)』)は、黒潮を北上する回遊魚であり、日本神話が太平洋側からできたことは明らかであり、神社建築の鰹木『ウィキペディア(Wikipedia)』も黒潮文化圏で発生したがは容易に想像がつきます。しかも日本で唯一、天忍穂を冠した神社が香我美町にあるがですよ。八面大王伝説もそこやし。
鰹節は、御饌(みけ)『ウィキペディア(Wikipedia)』においても重要な位置を占めます。
これを総合して考えたら、天武天皇以降、あるいは菅原道真以降、何が封じられ何が力を持ち続けゆうかを想像することはシンヨイことやろうと思います。
沖縄と高知の宗教文化がつながったら、即、邪馬台国を意味するき、温帯ジャポニカ文化圏の人たちやアメリカ人の方たちはこじゃんと都合が悪いわけです。
米軍はどういたち日本の南伝ルートを切っちょかんといかんがです。石油においても文化においても。文明の起源とされるシュメールの文化をバビロニア・フェニキア経由で多くを輸入し文明の根幹に維持し続けた日本国に原爆を落としたとあっては、アメリカ自体が悪の枢軸国になるからです。
対英米開戦後の最初の作戦・マレー作戦『ウィキペディア(Wikipedia)』を成功させてマレーの虎と言わしめたがが大豊町出身の山下 奉文(やました ともゆき)さん『ウィキペディア(Wikipedia)』。南方系ルートを開くがはどういたち土佐、もしくは熊野しかない。
結局、高知は南国土佐やき、その気候から性格が沖縄とか南方系の人たちのオープンさ・明るさにシンクロするわけやき、どういたち京に最も近い南方系の急先鋒として攻撃したりされたりという立ち回りをせんといかんがです。損な役回りやけんど仕方がない。
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無題
秦氏はユダヤ教ナザレ派ではないでしょうか。ローマ・ギリシャは有色人種な気がしますが昔は違ったのでしょうか。純粋なセム系イスラエル人は白人だと思います。白人ユダヤがハザール末裔だという説は、反シオニズムのデマでしょう。
明治維新は秦氏による南朝すりかえだという説はどう思われますか?フルベッキはユダヤ系オランダ人のようです。イエズス会も改宗ユダヤ人ですね。伊達政宗も秦氏だと思われますが、ルイス・ソテロもユダヤ人です。私は新約聖書はユダヤ人を改宗させるためのローマによる捏造だと思っていますが、改宗ユダヤ人宣教師というのは、旧約聖書を中心に教えるのですかね。それともイエスを信じているのですかね。
明治維新は秦氏による南朝すりかえだという説はどう思われますか?フルベッキはユダヤ系オランダ人のようです。イエズス会も改宗ユダヤ人ですね。伊達政宗も秦氏だと思われますが、ルイス・ソテロもユダヤ人です。私は新約聖書はユダヤ人を改宗させるためのローマによる捏造だと思っていますが、改宗ユダヤ人宣教師というのは、旧約聖書を中心に教えるのですかね。それともイエスを信じているのですかね。
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