《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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馬楽さんが今月、桑名に行っちょったみたいやけんど、自分も桑名の多度大社に行ってました。
桑名と土佐の古代をちょっと調べてみたけんど色々と出てきました。
ずーっと今まで書いてきた土佐と美濃の関係、これが※元正天皇※というキーワードで解かれていきます。
元正天皇が養老という元号を定めたがは、養老の滝に魅せられたき。養老山地の最南端の多度山に多度大社があり、そこが桑名。
養老元年には越前秦氏の秦澄(たいちょう)が白山三馬場を開いちゅう。同じ年に京都の愛宕神社も役小角とともに開山しちゅう。つまり元正天皇は修験道とも秦氏とも深い関係にあった。
長屋王は元正天皇のいとこで骨が土佐に流されている。
元正天皇の母親が元明天皇で、その母親が蘇我倉山田石川麻呂の娘。
蘇我倉山田石川麻呂の兄弟に蘇我赤兄がおる。そう高知県安芸市・安芸氏の祖先とされる蘇我赤兄。
そう、つまりは、長宗我部氏が桑名氏(四十八家)を引き連れて土佐にやってきたという話はまんざらでもなくて蘇我氏秦氏の強力タッグの激震地として古代から土佐と桑名は密接な関係があったということ。
つまり美濃斉藤氏の支流・石谷頼辰(いしがい よりとき)が山崎の合戦後、元親の家臣になったりしたのは、古代蘇我氏つながりだったのです。だから長宗我部氏。
甲斐武田氏が土佐にやってきて宗我部を名乗ったのも、土佐が蘇我氏の大本家であるという認識があったからやろうと思う。古代波多国の国造は天韓襲命で、その前が蘇我大王。土佐国唯一の前方後円墳が宿毛にある。曽我山古墳
熱田と多度の結びつきも強い。織田信長が藤原信長をしたためたがは熱田神宮。
天武天皇に神刀を献上させられたがは土左大神。
『土佐物語』には、斉明天皇が後の天智天皇と天武天皇を引き連れて土佐の朝倉に逗留した様子が描かれている。土佐にはその伝承があるし斉明天皇の陵もある。
つまり、織田信長と長宗我部元親の争いは天智天皇と天武天皇との争いに遡ることができる相当深い隠喩がある。
やはり天智天皇の都は白鳳の大地震で土佐沖に没した黒崎の宮か。
そうすれば壬申の乱時に取った天武天皇側の不自然な行軍が自然なものになるし、土佐二之宮・朝倉神社周辺の伝承も辻褄が合う。
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桑名と土佐の古代をちょっと調べてみたけんど色々と出てきました。
ずーっと今まで書いてきた土佐と美濃の関係、これが※元正天皇※というキーワードで解かれていきます。
元正天皇が養老という元号を定めたがは、養老の滝に魅せられたき。養老山地の最南端の多度山に多度大社があり、そこが桑名。
養老元年には越前秦氏の秦澄(たいちょう)が白山三馬場を開いちゅう。同じ年に京都の愛宕神社も役小角とともに開山しちゅう。つまり元正天皇は修験道とも秦氏とも深い関係にあった。
長屋王は元正天皇のいとこで骨が土佐に流されている。
元正天皇の母親が元明天皇で、その母親が蘇我倉山田石川麻呂の娘。
蘇我倉山田石川麻呂の兄弟に蘇我赤兄がおる。そう高知県安芸市・安芸氏の祖先とされる蘇我赤兄。
そう、つまりは、長宗我部氏が桑名氏(四十八家)を引き連れて土佐にやってきたという話はまんざらでもなくて蘇我氏秦氏の強力タッグの激震地として古代から土佐と桑名は密接な関係があったということ。
つまり美濃斉藤氏の支流・石谷頼辰(いしがい よりとき)が山崎の合戦後、元親の家臣になったりしたのは、古代蘇我氏つながりだったのです。だから長宗我部氏。
甲斐武田氏が土佐にやってきて宗我部を名乗ったのも、土佐が蘇我氏の大本家であるという認識があったからやろうと思う。古代波多国の国造は天韓襲命で、その前が蘇我大王。土佐国唯一の前方後円墳が宿毛にある。曽我山古墳
熱田と多度の結びつきも強い。織田信長が藤原信長をしたためたがは熱田神宮。
天武天皇に神刀を献上させられたがは土左大神。
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つまり、織田信長と長宗我部元親の争いは天智天皇と天武天皇との争いに遡ることができる相当深い隠喩がある。
やはり天智天皇の都は白鳳の大地震で土佐沖に没した黒崎の宮か。
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