《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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昨日、ある方と話をした時に、気になっちょったことがあるのでまとめちょきたいと思います。
四国、特に高知の古代においてかなり重要な要素になるがが、川なんですけれども、古代、神河(みわがわ)と呼ばれた仁淀川『ウィキペディア(Wikipedia)』の水源はウィキペディアにも記載されちゅう通り、石鎚山になります。でも古代土佐人はそのすぐ隣にある瓶ヶ森を水源とみなしちょったがやないかと感じます。平安時代以前は石鎚山より瓶ヶ森の行場のほうが栄えちょったらしいですき。
ほんで吉野川『ウィキペディア(Wikipedia)』の水源が瓶ヶ森で、古代、鏡川と呼ばれた物部川『ウィキペディア(Wikipedia)』の水源は剣山系白髪山になります。
つまり、四国の2大山である石鎚山系と剣山系の水が、それぞれ(現)鏡川、(現)国分川と合流し、浦戸湾に注ぎ込みよったわけです。
その構造を以って土佐は古代、巨大風水都市の名を欲しいままにしてきたわけです。
風水の根幹の思想に「蔵風聚水」(ぞうふうじゅすい)という捉え方があります。これは風をたく(蔵)わえ、水を集(聚)めるという意味ですが、四国2大山である石鎚山と剣山から水を集める浦戸湾を擁す高知市中心部は蔵風聚水都市と考えて良いと思います。
しかも、土佐一之宮土佐神社の古代主祭神であると推測される『しなね様』は風の女神です。手結に風待ちの文化があるように、浦戸湾にも古代、巨大な風待ち、すなわち『風』を神聖視した文化があったがは確実でしょう。
この風水都市構造に、北は七ツ淵、南は竜王宮、東は介良三山や船岡山、西はライオン岩や鴻ノ森、これら四神が絶妙に配置され、そのど真ん中に神功皇后伝説の玉島があるがは、決して偶然やなくて、むしろ神話が自分らあ土佐人の目の前で未だに動きゆうとも言うてえいような状態です。
これらの構造に浦戸湾の子宮的構造や孕みのジャンなんかを加えていくと、ものすごく深いレベルで縄文の信仰と古代中国やオリエントの信仰が土佐で融合した痕跡を幾つも発見できるがです。
四国三郎吉野川は阿波海に注いで紀国の吉野川と比翼連理を為すわけですが、この構造を認識するだけで、日本の文明が四国で発祥し畿内へ移動していったと考えることのほうが自然やと思います。
思い込みと偏見を取り除いたら色んなもんが見えてきます。
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四国、特に高知の古代においてかなり重要な要素になるがが、川なんですけれども、古代、神河(みわがわ)と呼ばれた仁淀川『ウィキペディア(Wikipedia)』の水源はウィキペディアにも記載されちゅう通り、石鎚山になります。でも古代土佐人はそのすぐ隣にある瓶ヶ森を水源とみなしちょったがやないかと感じます。平安時代以前は石鎚山より瓶ヶ森の行場のほうが栄えちょったらしいですき。
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つまり、四国の2大山である石鎚山系と剣山系の水が、それぞれ(現)鏡川、(現)国分川と合流し、浦戸湾に注ぎ込みよったわけです。
その構造を以って土佐は古代、巨大風水都市の名を欲しいままにしてきたわけです。
風水の根幹の思想に「蔵風聚水」(ぞうふうじゅすい)という捉え方があります。これは風をたく(蔵)わえ、水を集(聚)めるという意味ですが、四国2大山である石鎚山と剣山から水を集める浦戸湾を擁す高知市中心部は蔵風聚水都市と考えて良いと思います。
しかも、土佐一之宮土佐神社の古代主祭神であると推測される『しなね様』は風の女神です。手結に風待ちの文化があるように、浦戸湾にも古代、巨大な風待ち、すなわち『風』を神聖視した文化があったがは確実でしょう。
この風水都市構造に、北は七ツ淵、南は竜王宮、東は介良三山や船岡山、西はライオン岩や鴻ノ森、これら四神が絶妙に配置され、そのど真ん中に神功皇后伝説の玉島があるがは、決して偶然やなくて、むしろ神話が自分らあ土佐人の目の前で未だに動きゆうとも言うてえいような状態です。
これらの構造に浦戸湾の子宮的構造や孕みのジャンなんかを加えていくと、ものすごく深いレベルで縄文の信仰と古代中国やオリエントの信仰が土佐で融合した痕跡を幾つも発見できるがです。
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