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先週、ゆうあい工房で長宗我部ファンクラブの集まりがありまして、その模様が明日(11/25)か明後日(11/26)のNHKで放映されるようです。18時10分くらいからの放映と言うてました。
自分もインタビューを受けましたが、たぶん全部カットされちゅうと思います(笑)。21日~23日のツアーとかシンポジウムも含めての放映やき、色々とおもしろいカットがとれちゅうと思います。
長宗我部ファンクラブとは言うても、めちゃくちゃ濃い方々が集まっちょって歴史研究会さながらの展開になってきよります。
藤島氏が提唱した多人数参加型長宗我部歴史小説『鳥無き島の蝙蝠』も、根底が徐々に出来上がりつつあり、信長と元親の思想的対比の中で様々なものが浮かび上がってきよります。
前回 三職推任問題~信長の夢は藤氏長者~ でも書いたように、元親と信長の問題は天皇家が乗り入れる日本全体の問題やき、大河ドラマには遜色ない壮大なストーリーになります。またこのことによって土佐=流刑地という、ある意味創られたプロパガンダを自分たちの手で覆していくという作業もできるわけです。
是非たくさんの人たちと一緒に掘り起こしていきたいものです。
おそらく元親の時代は、土佐人の意識がもっとも高まった第二のピークであり(第一は古代土佐、第三は幕末から自由民権運動時)、この時代を掘り起こすことによって、土佐とは何であるのか?を深く知っていくことができると思います。
その歴史への深い潜行の中で、土佐人は土佐の誇りと自由さを取り戻していけたらえいし、またそれが観光の資源にもなり、経済発展の土台になるような気もしてきております。
なんで長宗我部が人気が出てきゆうか言うたら、戦国時代にありながら自分たちとも通じる非常に現代的な感覚を持った戦国武将やったちゅうところからやないでしょうか。それと元親を知れば知るほど思想の深さがにじみ出てきて、当時そういう思想を持っちょったがは他に信長しかおらんかったがです。
その信長と元親が当時の天皇・正親町天皇を基点に政治的駆け引きを眼に見えんところで展開するわけやけんど、これが非常に面白い。
鳥無き島の蝙蝠なんかも、今までは四国=田舎というイメージを定着させるための動機付けとして利用されてきたけんど、実際は全然違う。土佐一条氏は当時、関白にまで上り詰めることができるほどの家柄やったし儀礼・作法なんかで土佐が京よりはるかに劣っちょったというイメージは後世に作られたイメージであることがわかります。
むしろ、紀貫之・菅原高視などの文学者・貴族が伝統的に土佐に来るような慣わしというか、雰囲気が土佐にあったわけで、土佐一条氏はその延長に過ぎんということながです。つまり土佐の公家文化は応仁の乱時に一条氏が下向して来た頃から始まるがやなくて、それ以前から伝統として土佐に存在したということながです。
日本書紀に土佐の記述が最初に出てくるがが、「神刀献上する」ですから既に7世紀にその伝統はあったわけです。
その伝統が失われたがは秀吉の中央集権国家確立以後です。
若者が戦国武将にはまる、もうひとつの潜在的な理由は、中央集権国家観から脱却したいという想いがあります。日本の連合国家観は土佐から始まっちゅうわけやき、その伝統を引き継いだ長宗我部が人気が出るというのはごくごく自然な流れであるとは思います。
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