《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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前回記事からの続きになるのですが、土佐沖に沈んだ黒田郡に関すること
黒田そのものが都を意味したのではないかという。
奈良県桜井市黒崎は朝倉宮の比定地とされている。”黒”とは一体何であろうか?
天武天皇が土佐高賀茂大社から神刀を受け取って、上賀茂神社を造営していることからも、沈没した黒田郡に存在した上鴨、下鴨にも現在の京都に存在する上賀茂神社、下鴨神社と同じような格式の高い神社があったということは容易に想像ができます。
現在の神田、鴨部あたりの古代もこの文脈で捉えないと理解できないと思います。
これは戦国時代の本山氏と長宗我部氏の戦力分布と同じですよね。岡豊の元親は、まず最初に東の香宗我部と同盟を結ぶことによって勢力を拡大していった。岡豊の卑弥呼も東の山田へ逃げて徹底抗戦した。岡豊という土地のブレーンはいつの時代も常に土佐山田、物部村あたりにあったのです。言ったら、剣山の山人文化が卑弥呼のブレーンで狗古智卑狗は長大な海軍で追い詰めるという格好になっている。これ海幸彦と山幸彦の話みたいですよね。
これは坂本龍馬と武市半平太の性格にも表れている。なぜ同じ土地で生まれた人間であるにも関わらず、一方は強烈な勤皇主義、一方は世界の国々と船で貿易したいというふうになるのか。卑弥呼の邪馬台国は魏と通商を目指す戦略であったけれども鬼道を中心とした強力な王権であったと思います(武市系)。その一方で狗古智卑狗の国は雑賀衆のように中央集権国家を徹底的に嫌う集まりだったように思います(龍馬系)。この対立なら思想的にも戦力的にも土佐で拮抗します。
土佐戦国七雄の大平氏は仁淀川河口地域から都と直結して勢力を伸ばしたみたいですし、本山氏と長宗我部の浦戸城を巡る争いは、卑弥呼と狗古智卑狗の戦いと同じようなルートを辿っていたのではあるまいか。本山氏は雑賀衆を雇い、長宗我部は根来衆を雇ったが、黒田郡という島があったため狗古智卑狗は勝利し、卑弥呼は負けたのではないか。
その怒りを鎮めるための祭りが風鎮祭”しなね祭”ではないか。天武天皇が男王中心の律令国家へと大和の政策を変更したため白鳳の大地震は起こった→それは土佐大神(高皇産尊)の怒り、あるいは卑弥呼(しなね様)の怒り→だから盛大に荒ぶる魂を祭りで鎮めなければならない→しなね祭
鳴無神社では、一言主(しなねさま、卑弥呼、アマテラス)が祀られ、黒田郡の黒崎宮では、アジスキタカヒコネ(迦毛大御神、狗古智卑狗、スサノオ)が祀られており、この2つの神社の間を八十島祭で船渡御していたのではあるまいか。ご神体は狗古智卑狗が卑弥呼を討ち取った草薙剣。
鏡王wikiは、おそらく冒頭に書いた黒の点が3つという伝説がある高知市鏡村の出身。その娘、額田王は、無理やり天武天皇と結婚させられ、十市皇女を産む。この十市はもちろん高知の十市(とおち)。新宮神社がそれを今に伝えている。中大兄皇子(天智天皇)は土佐葛木系の4人の娘を次々と天武天皇に差し出した。これは白村江の敗戦処理ではなかったと思う。高知の安芸に伝承のある蘇我赤兄も天武天皇がクーデターを起こした弘文天皇の重臣であった。
天智天皇と弘文天皇が都とした大津宮が高知市大津であったことは完全に否定できない。鏡王、十市皇女、蘇我赤兄、高知市大津が高天原山を擁する古代よりの信仰の地であること、土左日記の出発点であること、岡豊(お皇、卑弥呼)の対岸であることなど、あまりにも符号が多すぎるのである。
天智天皇もまた、クーデターを起こして葛木のルーツとも言える土佐の地に都を置いたのかもしれない。
675年 土左大神から天武天皇に神刀一口が献上される
675年 2月13日 十市皇女、阿閉皇女とともに伊勢神宮に参詣
675年 11月4日 天武天皇、高市皇子より以下、小錦より以上の大夫らに
衣、袴、褶、腰帯、脚帯、机、杖を賜う
678年 天武天皇が倉橋河の河上にたてた斎宮に出向こうとした4月7日朝に十市皇女急死
678年 天武天皇 上賀茂神社の社を造営
一定期間のみそぎを行う場所を野宮wikiと呼びますが、野市に野々宮神社と西野宮神社が存在するので、野市に野宮が設置されていた可能性は高い。
天武天皇は、上賀茂神社を造営し、伊勢の斎宮制度も確立しますが、その祭祀は土佐高賀茂の祭祀を参考にしていたのではないか。
岡豊(内宮)、大豊(外宮)、野市(野宮)、大津(近江大津宮)、黒田郡上鴨(土佐上賀茂大社)、黒田郡下鴨(土佐下鴨大社)、十市(十市皇女)、鏡村(鏡王)、安芸(蘇我赤兄)、朝倉宮(斉明天皇)
列記してみると何やら、野宮で禊した斎宮は、高知の場合は大国主の社へ向かった可能性がある。土佐町の伊勢川の大国主神社、郡頭の大国主、椙本神社の大国主。これは卑弥呼のことであり、3世紀に狗古智卑狗が卑弥呼を討った後でも、高知の人たちは卑弥呼は幽界から私たちを見守ってくれているという感覚があり、それを祀っていたようである。古墳時代を通じて黒い太陽(狗古智卑狗)によって統治されても、深紅の太陽(卑弥呼)が統治していた時代のことは忘れなかった。
本当の神話は、高皇産尊から分魂したヤマトタケル(狗古智卑狗・弟)の皇統が、幽界に行ってしまったヤマトモモソヒメ(卑弥呼・姉)を祀りつつ平和に暮らしているというものではなかったか。だからこそ土佐はタケヨリワケと呼ばれ、タケルの皇統の源泉を意味したのである。その王位を継ぐものはワカタケルと呼ばれた。
話をもとに戻しますが
卑弥呼は、243年に魏に絳青縑(こうせいけん)という織物を贈っています。紅(コウ)と青(セイ)の布です。かなりの織物技術を持っていたらしいですが、卑弥呼が岡豊に居し、その下で布師がいたというのもすべて辻褄が合いますよね。しかもそこで祀られていたのは天河命という織姫を彷彿とさせる女神。川を挟んで対岸には高天原山と葛木男神社。
卑弥呼の皇は紅でもあり、茜でもあり、夕日だったんですね。一方で狗古智卑狗は黒い太陽、朝日を祀り、卑弥呼のような貿易のできる高度な交易品を持っていなかったのかもしれません。その代り、居徳遺跡が指し示すように武器は高度なものを蓄えていた可能性が高い。
邪馬台国が魏と通信をしているということは卑弥呼は魏の武力や武器を知っていたわけであり、それと同等なものを魏から仕入れていたか、技術者を招き入れていた可能性は高い。それよりも高い戦力を狗奴国は持っていたのだから、その戦力の根源は三国時代のどこかに通じていた可能性は高い。
三国志の武器(三国志考察)
つまり、狗古智卑狗の狗奴国は銅矛祭祀を行っており、邪馬台国連合は銅鐸祭祀を引き継ぐものたちであったということである。その文化圏はちょうど土佐中央部で交錯している。
銅鐸(邪馬台国の会)
これは卑弥呼が高板山にまず退却し、そこから吉備の高島宮に敗走したという説も裏付ける。
黒田そのものが都を意味したのではないかという。
ここの黒といういう字は、点が3つしかない黒で、昔からそうじゃと、近所の人もいうけんど 「卑弥呼のくに土佐」-中町子菊これは鏡村近くの黒石の神さまを指すものだが、”黒”の下の点が元々、3つだったとすれば、黒が熊野のヤタガラスを意味していたことは偶然ではなく必然となってくる。
奈良県桜井市黒崎は朝倉宮の比定地とされている。”黒”とは一体何であろうか?
土佐国黒田ト言ハ、是ヨリ南ニ有リ。黒田、黒土、上鴨、下鴨の四郡があったということなので、沈んだ黒田郡はかなり広大な土地であっただろう。現在の京都の上賀茂神社は、天武朝の678年に社殿が造営されたので、土佐大神が天武天皇に神刀を献上した675年の3年後に天武天皇は上賀茂神社などを中心とした京都中心の律令国家を構築しようとします。その最中684年に白鳳の大地震が起きます。
此ノ地ヨリ七里バカリ沖ニトッコウノ峯トテ、東西大河ヨリ流出ル川裾 長埜、常磐両村ノ間ニ有リ。
此所ニ黒崎ノ宮トテ五穀御祭ノ御宮ナリ。
有ル時 日数三十日大雨フリ、東西ノ河々ヨリ洪水出。
黒田大埜大海ノ如クナリ、
其ノ翌日、大地震シテ、終ニ南海トナル。
琴平神社 - 684年の白鳳大地震で沈んだ黒崎之宮を再建・遷座
(南国土佐へ来てみいや)
天武天皇が土佐高賀茂大社から神刀を受け取って、上賀茂神社を造営していることからも、沈没した黒田郡に存在した上鴨、下鴨にも現在の京都に存在する上賀茂神社、下鴨神社と同じような格式の高い神社があったということは容易に想像ができます。
現在の神田、鴨部あたりの古代もこの文脈で捉えないと理解できないと思います。
郡頭神社との見解もあるように、郡頭神社は、土佐高賀茂大社に次ぐ神格。ということは、沈没した黒田、黒土、上鴨、下鴨のいずれかの郡の一之宮を鴨部に再建したという推測もできるわけです。浦戸湾を境に卑弥呼と狗古智卑狗の支配地域が分かれていた。
・・・その歴史はつまびらかではなく、往古は一宮(いちのみや)である高賀茂神社(土佐神社)に次ぐ崇拝を受け、祭儀も盛大を極めたと伝えるのみである。
【 参考・引用 】 『高知県の地名 日本歴史地名大系40』 平凡社・刊
郡頭神社- おんちゃん
これは戦国時代の本山氏と長宗我部氏の戦力分布と同じですよね。岡豊の元親は、まず最初に東の香宗我部と同盟を結ぶことによって勢力を拡大していった。岡豊の卑弥呼も東の山田へ逃げて徹底抗戦した。岡豊という土地のブレーンはいつの時代も常に土佐山田、物部村あたりにあったのです。言ったら、剣山の山人文化が卑弥呼のブレーンで狗古智卑狗は長大な海軍で追い詰めるという格好になっている。これ海幸彦と山幸彦の話みたいですよね。
これは坂本龍馬と武市半平太の性格にも表れている。なぜ同じ土地で生まれた人間であるにも関わらず、一方は強烈な勤皇主義、一方は世界の国々と船で貿易したいというふうになるのか。卑弥呼の邪馬台国は魏と通商を目指す戦略であったけれども鬼道を中心とした強力な王権であったと思います(武市系)。その一方で狗古智卑狗の国は雑賀衆のように中央集権国家を徹底的に嫌う集まりだったように思います(龍馬系)。この対立なら思想的にも戦力的にも土佐で拮抗します。
土佐戦国七雄の大平氏は仁淀川河口地域から都と直結して勢力を伸ばしたみたいですし、本山氏と長宗我部の浦戸城を巡る争いは、卑弥呼と狗古智卑狗の戦いと同じようなルートを辿っていたのではあるまいか。本山氏は雑賀衆を雇い、長宗我部は根来衆を雇ったが、黒田郡という島があったため狗古智卑狗は勝利し、卑弥呼は負けたのではないか。
土佐郡とある。これは和名鈔の地名を吉田東伍博士が現在の地名にあてたものらしい。これによると、沈んだ黒田郡以下、黒土、上鴨、下鴨郡の方が格式が高かったのではないかと思えてくる。土佐神社が存在する一宮が神戸というのは解せない。神戸は封戸wikiであり、明らかに黒田のほうが都としての格式が高い。つまり、675年に土左大神が天武天皇に神刀一口を献上した時の土佐高賀茂大社は、沈没した黒田郡にあったのではないかということである。
土佐(布師田)、高坂(高知、小高坂、久万等)、鴨部(鴨目、旭)、朝倉(朝倉、宇治)、神戸(一宮、秦)
土佐史談復刊第44号-古代土佐の歴史その四 より
その怒りを鎮めるための祭りが風鎮祭”しなね祭”ではないか。天武天皇が男王中心の律令国家へと大和の政策を変更したため白鳳の大地震は起こった→それは土佐大神(高皇産尊)の怒り、あるいは卑弥呼(しなね様)の怒り→だから盛大に荒ぶる魂を祭りで鎮めなければならない→しなね祭
鳴無神社では、一言主(しなねさま、卑弥呼、アマテラス)が祀られ、黒田郡の黒崎宮では、アジスキタカヒコネ(迦毛大御神、狗古智卑狗、スサノオ)が祀られており、この2つの神社の間を八十島祭で船渡御していたのではあるまいか。ご神体は狗古智卑狗が卑弥呼を討ち取った草薙剣。
鏡王wikiは、おそらく冒頭に書いた黒の点が3つという伝説がある高知市鏡村の出身。その娘、額田王は、無理やり天武天皇と結婚させられ、十市皇女を産む。この十市はもちろん高知の十市(とおち)。新宮神社がそれを今に伝えている。中大兄皇子(天智天皇)は土佐葛木系の4人の娘を次々と天武天皇に差し出した。これは白村江の敗戦処理ではなかったと思う。高知の安芸に伝承のある蘇我赤兄も天武天皇がクーデターを起こした弘文天皇の重臣であった。
天智天皇と弘文天皇が都とした大津宮が高知市大津であったことは完全に否定できない。鏡王、十市皇女、蘇我赤兄、高知市大津が高天原山を擁する古代よりの信仰の地であること、土左日記の出発点であること、岡豊(お皇、卑弥呼)の対岸であることなど、あまりにも符号が多すぎるのである。
天智天皇もまた、クーデターを起こして葛木のルーツとも言える土佐の地に都を置いたのかもしれない。
675年 土左大神から天武天皇に神刀一口が献上される
675年 2月13日 十市皇女、阿閉皇女とともに伊勢神宮に参詣
675年 11月4日 天武天皇、高市皇子より以下、小錦より以上の大夫らに
衣、袴、褶、腰帯、脚帯、机、杖を賜う
678年 天武天皇が倉橋河の河上にたてた斎宮に出向こうとした4月7日朝に十市皇女急死
678年 天武天皇 上賀茂神社の社を造営
一定期間のみそぎを行う場所を野宮wikiと呼びますが、野市に野々宮神社と西野宮神社が存在するので、野市に野宮が設置されていた可能性は高い。
天武天皇は、上賀茂神社を造営し、伊勢の斎宮制度も確立しますが、その祭祀は土佐高賀茂の祭祀を参考にしていたのではないか。
岡豊(内宮)、大豊(外宮)、野市(野宮)、大津(近江大津宮)、黒田郡上鴨(土佐上賀茂大社)、黒田郡下鴨(土佐下鴨大社)、十市(十市皇女)、鏡村(鏡王)、安芸(蘇我赤兄)、朝倉宮(斉明天皇)
列記してみると何やら、野宮で禊した斎宮は、高知の場合は大国主の社へ向かった可能性がある。土佐町の伊勢川の大国主神社、郡頭の大国主、椙本神社の大国主。これは卑弥呼のことであり、3世紀に狗古智卑狗が卑弥呼を討った後でも、高知の人たちは卑弥呼は幽界から私たちを見守ってくれているという感覚があり、それを祀っていたようである。古墳時代を通じて黒い太陽(狗古智卑狗)によって統治されても、深紅の太陽(卑弥呼)が統治していた時代のことは忘れなかった。
本当の神話は、高皇産尊から分魂したヤマトタケル(狗古智卑狗・弟)の皇統が、幽界に行ってしまったヤマトモモソヒメ(卑弥呼・姉)を祀りつつ平和に暮らしているというものではなかったか。だからこそ土佐はタケヨリワケと呼ばれ、タケルの皇統の源泉を意味したのである。その王位を継ぐものはワカタケルと呼ばれた。
話をもとに戻しますが
卑弥呼は、243年に魏に絳青縑(こうせいけん)という織物を贈っています。紅(コウ)と青(セイ)の布です。かなりの織物技術を持っていたらしいですが、卑弥呼が岡豊に居し、その下で布師がいたというのもすべて辻褄が合いますよね。しかもそこで祀られていたのは天河命という織姫を彷彿とさせる女神。川を挟んで対岸には高天原山と葛木男神社。
卑弥呼の皇は紅でもあり、茜でもあり、夕日だったんですね。一方で狗古智卑狗は黒い太陽、朝日を祀り、卑弥呼のような貿易のできる高度な交易品を持っていなかったのかもしれません。その代り、居徳遺跡が指し示すように武器は高度なものを蓄えていた可能性が高い。
邪馬台国が魏と通信をしているということは卑弥呼は魏の武力や武器を知っていたわけであり、それと同等なものを魏から仕入れていたか、技術者を招き入れていた可能性は高い。それよりも高い戦力を狗奴国は持っていたのだから、その戦力の根源は三国時代のどこかに通じていた可能性は高い。
三国志の武器(三国志考察)
つまり、狗古智卑狗の狗奴国は銅矛祭祀を行っており、邪馬台国連合は銅鐸祭祀を引き継ぐものたちであったということである。その文化圏はちょうど土佐中央部で交錯している。
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