《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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気になるので7-8世紀あたりを少しまとめてみます。
660年頃 ヒエ寺/秦泉寺/神通寺大伽藍を形成 土佐条里制 既に完成
661年 宝皇女(たからのひめみこ)「斉明天皇」 土佐朝倉で没(陵はウクルス山)
唐/新羅の暗殺計画成功→宝皇女は大和屈指の女戦略家
『土佐物語』に当時の様子は克明に記されている。
663年 白村江の戦いで高宗(こうそう)の唐に敗北 唐/新羅人が大挙として畿内に流入
※高宗※は皇帝ではなく天皇の称号を使用したことでも知られている。
673年 天武天皇即位
天武天皇は大王という呼称を天皇に改めるよう命じた。
即位の礼時 北四国 翠波峰(水の神)-豊受山(風の神)を奉祭
その後 広瀬(水の神)-龍田(風の神)を創建し、異常なスピードで奉祭
天武天皇が恐れた神風 大和路(※やまじ※)
やまじが吹いてくると考えられていた南の方角に風神シナネを配する土佐高賀茂大社
土佐高賀茂大社の主祭神アジスキタカヒコネの別名は
迦毛大御神(かものおおみかみ)
古事記内で大御神がつくのは迦毛大御神と天照大御神のみ
本来は、天照大御神→太陽神男神 迦毛大御神→風水月神女神
迦毛は鳥、風によって飛ぶ。
675年 風神土佐大神(土佐高賀茂大社) 神刀一口 天武天皇に献上
同年 風神龍田大社創建
678年 上賀茂神社創建
686年 秦石勝が天武天皇のご病気(神刀のたたり)平癒を祈願するため
土佐高賀茂大社に出戻り訪問
724年 聖武天皇即位の年に天皇勅願で行基が五台山(高知市)を開基(神亀元年)
727年 光明子 基王を生む
728年 基王が亡くなり 長屋王の変が起きる(骨は土佐へ流される)
729年 光明子 皇后へ立后(藤原氏では初の子女/聖武天皇の妻)
764年 藤原仲麻呂(恵美押勝)と淳仁天皇(淡路廃帝)が
考謙天皇/道教勢力と対立→恵美押勝の乱へと続く
塩焼王(-10月21日)を今帝として擁立
高賀茂田守が円興とともに恵美押勝の乱の混乱に乗じて
土佐高賀茂大社から一言主を連行
葛城一言主神社創建
※円興※は道教の弟子。高賀茂田守の兄。
道教が円興を使って高鴨神を土佐高賀茂大社から誘拐したのは明白。
奈良葛城が一言主の本地ならば675年の土佐大神による神刀献上時に
高鴨神の移行が行われるべき。そうでなければ天武天皇が配流先の神から
皇室守護の三種の神器である神刀を受け取ったことになります。
どう考えてもありえない話です。
ましてや神刀献上直後に京都上賀茂神社が
創建されているのは明らかな因果関係がある。
このすべての問題をクリアするひとつの事実は
一言主(高鴨神)は土佐土着の神であるということ。
土佐は淳仁天皇派だった。
764年に誘拐事件を実行するということは恵美押勝と淳仁天皇のバックに
土佐大神が存在していたことを道教は、はっきりと認識していた。
これは本能寺の変の時に、織田信長が関白・一条内基のバックに長宗我部元親が
存在することを認識していた構図と同じ。
本能寺の変のルーツは高鴨神連行事件にまで遡る。
769年 塩焼王の息子 志計志麻呂が皇位奪還を計画したとして土佐配流
高知県須崎市に供養塔
782年 氷上川継(志計志麻呂の弟/志計志麻呂本人とする説もある)の乱
これに連座して藤原 魚名が大宰府へ左遷
息子の藤原鷲取が土佐に左遷
<鬼(前王朝/土佐出雲邪馬台国)は外、福(風神)は内>戦略成功
風神だけを畿内に取り入れ、それを祀っていた先住民族を配流するという習慣が根付いた。
しかしその絶大な霊力を恐れていたため、祟りを回避する文化が京都で発達した。
元々、福を祀っていたのは鬼。そこには祟りも配流も左遷もなかった。
唐人駄馬には風神アネモス(民宿青岬)が先史時代から祀られています。
風を感じる感覚は古代人も上代人も同じ。
それほど風も吹かない龍田に風神国御柱神を祀っていること自体が非合理的。
ヨサコイには古代大和の自由と平等の雰囲気が残っています。
様々なチーム(民族)が酒(酒解神)や踊り(ウズメ神)を中心に
自由に平等に大通りを練り歩きます。
シルクロードから様々な民族が渡来して来たときに、意思疎通を図る言語は酒と踊りでした。
その後、日本語は発達し、様々な民族/宗教が融合していきました。
踊って頂ければ古代大和の雰囲気というものがおわかり頂けると思います。
そして、その後の宴にも。。。
天皇や律令国家が日本を作ったわけではありません。
様々な民族や宗教が衝突/融合を繰り返して互いに尊重し合い認め合った時に
台風のようなひとつの有機体ができ、ヤマトという国は生まれました。
その時にイブキ(息吹)が生じました。それが風神シナネです。
日本人のルーツ 台風銀座の土佐に是非、お越しくださいませ。
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
*******************************************
2011年4月 高知県室戸市尾崎海岸で第二回尾崎祭りが開催される予定です。
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660年頃 ヒエ寺/秦泉寺/神通寺大伽藍を形成 土佐条里制 既に完成
661年 宝皇女(たからのひめみこ)「斉明天皇」 土佐朝倉で没(陵はウクルス山)
唐/新羅の暗殺計画成功→宝皇女は大和屈指の女戦略家
『土佐物語』に当時の様子は克明に記されている。
663年 白村江の戦いで高宗(こうそう)の唐に敗北 唐/新羅人が大挙として畿内に流入
※高宗※は皇帝ではなく天皇の称号を使用したことでも知られている。
673年 天武天皇即位
天武天皇は大王という呼称を天皇に改めるよう命じた。
即位の礼時 北四国 翠波峰(水の神)-豊受山(風の神)を奉祭
その後 広瀬(水の神)-龍田(風の神)を創建し、異常なスピードで奉祭
天武天皇が恐れた神風 大和路(※やまじ※)
やまじが吹いてくると考えられていた南の方角に風神シナネを配する土佐高賀茂大社
土佐高賀茂大社の主祭神アジスキタカヒコネの別名は
迦毛大御神(かものおおみかみ)
古事記内で大御神がつくのは迦毛大御神と天照大御神のみ
本来は、天照大御神→太陽神男神 迦毛大御神→風水月神女神
迦毛は鳥、風によって飛ぶ。
675年 風神土佐大神(土佐高賀茂大社) 神刀一口 天武天皇に献上
同年 風神龍田大社創建
678年 上賀茂神社創建
686年 秦石勝が天武天皇のご病気(神刀のたたり)平癒を祈願するため
土佐高賀茂大社に出戻り訪問
724年 聖武天皇即位の年に天皇勅願で行基が五台山(高知市)を開基(神亀元年)
727年 光明子 基王を生む
728年 基王が亡くなり 長屋王の変が起きる(骨は土佐へ流される)
729年 光明子 皇后へ立后(藤原氏では初の子女/聖武天皇の妻)
764年 藤原仲麻呂(恵美押勝)と淳仁天皇(淡路廃帝)が
考謙天皇/道教勢力と対立→恵美押勝の乱へと続く
塩焼王(-10月21日)を今帝として擁立
高賀茂田守が円興とともに恵美押勝の乱の混乱に乗じて
土佐高賀茂大社から一言主を連行
葛城一言主神社創建
※円興※は道教の弟子。高賀茂田守の兄。
道教が円興を使って高鴨神を土佐高賀茂大社から誘拐したのは明白。
奈良葛城が一言主の本地ならば675年の土佐大神による神刀献上時に
高鴨神の移行が行われるべき。そうでなければ天武天皇が配流先の神から
皇室守護の三種の神器である神刀を受け取ったことになります。
どう考えてもありえない話です。
ましてや神刀献上直後に京都上賀茂神社が
創建されているのは明らかな因果関係がある。
このすべての問題をクリアするひとつの事実は
一言主(高鴨神)は土佐土着の神であるということ。
土佐は淳仁天皇派だった。
764年に誘拐事件を実行するということは恵美押勝と淳仁天皇のバックに
土佐大神が存在していたことを道教は、はっきりと認識していた。
これは本能寺の変の時に、織田信長が関白・一条内基のバックに長宗我部元親が
存在することを認識していた構図と同じ。
本能寺の変のルーツは高鴨神連行事件にまで遡る。
769年 塩焼王の息子 志計志麻呂が皇位奪還を計画したとして土佐配流
高知県須崎市に供養塔
782年 氷上川継(志計志麻呂の弟/志計志麻呂本人とする説もある)の乱
これに連座して藤原 魚名が大宰府へ左遷
息子の藤原鷲取が土佐に左遷
<鬼(前王朝/土佐出雲邪馬台国)は外、福(風神)は内>戦略成功
風神だけを畿内に取り入れ、それを祀っていた先住民族を配流するという習慣が根付いた。
しかしその絶大な霊力を恐れていたため、祟りを回避する文化が京都で発達した。
元々、福を祀っていたのは鬼。そこには祟りも配流も左遷もなかった。
唐人駄馬には風神アネモス(民宿青岬)が先史時代から祀られています。
風を感じる感覚は古代人も上代人も同じ。
それほど風も吹かない龍田に風神国御柱神を祀っていること自体が非合理的。
ヨサコイには古代大和の自由と平等の雰囲気が残っています。
様々なチーム(民族)が酒(酒解神)や踊り(ウズメ神)を中心に
自由に平等に大通りを練り歩きます。
シルクロードから様々な民族が渡来して来たときに、意思疎通を図る言語は酒と踊りでした。
その後、日本語は発達し、様々な民族/宗教が融合していきました。
踊って頂ければ古代大和の雰囲気というものがおわかり頂けると思います。
そして、その後の宴にも。。。
天皇や律令国家が日本を作ったわけではありません。
様々な民族や宗教が衝突/融合を繰り返して互いに尊重し合い認め合った時に
台風のようなひとつの有機体ができ、ヤマトという国は生まれました。
その時にイブキ(息吹)が生じました。それが風神シナネです。
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