《日本語のルーツ「土佐弁」》 ★感嘆詞⇒げに まっこと お~の たま~ あっぽろけ しもうた ばっさり やまった なんちゃあ いうたち ★代名詞⇒あて あし おまん おんしゃ ★名詞⇒いられ どくれ もがり いちがい おらんク おまんク ひとんク あしんク あいちゃぁんク ちゃりす ほげす てんくろう くそじんま ごくどー ひいとい ようだい ばいあい まちまい いこじ いごっそう はちきん わかいし わりことし ★副詞⇒しょう こじゃんと どだい たまるか たいちゃ びっしり ぎっちり ぼったり ばっつり ぼっちり ちっくと しゃっち ざんじ しゅっと めっそ ひっしかっぱ ひがち さいさい ★形容詞⇒へごな のかな へすこい ひやい ぬくい みぞい しわい いそしい えずい やりこい ちんな たっすい したらこい むつこい たいそい めんどい あやかしい むつい またい かあくろしい ばばひい およけない とろこい ほうやくな しんよい ★動詞⇒ひせくる びちくる ぞぶる まぎる ちゃがまる たれもつる たごる ねぶる りぐる かやる のうがわるい ほたえる そばえる たつくる うまえる えぜる ロイつく えつくる さらばえる ほりこかす はりまわす めった いぬる ぞ~くそわるい しのべる くるめる ばぶれる いこる ゾンゾンする しゅんじゅう こたう ★語尾⇒ちゅう にゃあ ちや ぜよ じゃいか やき じゃき ★活用例:こじゃんと ぞ~くそわるい(私は非常に気分が悪い) ・ちっくと待ちよってや!今からざんじいんでしゅっと来るき(ちょっと待っててね、今からすぐに家に帰って、それからまた来るから) ・さいさい来てや!(暇があったら酒の肴でも持って、いつでも飲みに来てね)
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親戚から『郷土の不思議集』ばっすい南国市史-十話-というものが送られてきましたので、ちょっと中身を読みますと面白いことが書かれていまして、その中に土佐条里制のことが書かれていましたので、私もまた書いてみたいと思います。
ばっすい南国市史にも書かれているように、南国の条里制の起源というのはおそらく平城京が成立する以前のものであると私は思います。
1昨年、私も、南海道と推定される古代道路跡が発見された士島田遺跡の現地説明会に行っていたのですが、あの道路は南海道ではなく、土佐の古代条里制の跡だと思います。
といいますのは、その古代道路跡をまっすぐ伸ばしますと船岡山にあたります。船岡山と言えば京都でも重要な位置を占める山です。そしてその横に吾岡山、そして物部川を挟んでニギハヤヒ伝説のある神岡山。あきらかに何かあるでしょう。
しかも田村遺跡は弥生最大級の遺跡です。
ただ、土佐の条里制には京都、奈良とは違う特徴があります。それは道路が南南西に伸びている点です。
それがなぜかと言えば
平安京の四神と都市計画について(玄武の会)
を参照して頂ければおわかりになると思います。
土佐で興った初期大和朝廷が、朝鮮半島経由の北伝文化と黒潮経由の南伝文化、そして日本にもともと存在した先住民族文化が衝突して興ったと何度も書きました。
それをこの土佐条里制でも証明することができます。
(条里制というよりは条竜制ですが、ここでは便宜的に条里制とします)
つまり北伝とは”四神の風水都市”であり、南伝とは”琉球のグスク都市”です。
それらがせめぎあって日本初の条里制都市国家が、東西南北に四神を配置しながら南北ではなく、南南西に道路が振った形で造られたのです。
南南西に道路が振っているのは、つまり竜です。グスクもシュメール由来の竜信仰が強いため道路が曲がっています。
蛇を絵に描いて頂ければわかりますが、蛇をまっすぐ描く人はあまりいないと思います。直線は蛇や竜、うなぎなんかにおいても死を意味すると思います。それがグスクの都市計画です。
都城は生きていなければならないので、土佐秦氏は朱雀大路を西に曲げたということになろうかと思います。
(琵琶湖は南西に流れる瀬田川によって大阪湾にまで注いでいるので天智朝まではこのような都の造りを理解するグループが朝廷内で力を持っていたということだと思います)
七星剣が伝承されている旧幡多国高知県南西部の一之宮神社の内堀には今でも○○龍が祀られています。
通常であればイチキシマヒメが祀られているような場所です。奈良で後期大和朝廷が成立した時に土佐南西部はあまりにも遠いため、つぶし込みを免れたのだと考えられます。今でも北斗七星を主祭神として祀ってる神社も結構、ありますし。。。鎌倉で最も古い龍口明神社もこの系統です。
話を元に戻しますと”土佐高賀茂大社-田村遺跡-七ツ淵”がハハキ(竜木)の方角で並んでいます。
この造りを持っている地域は香長平野はもちろんのこと、完全な大王級の参道を持つ徳王子地区や蘇我赤兄伝承がある安芸地区です。
南南西とは逆の丑寅の方角というのは、土佐から見ればサの神が抜けるサヌキの方角、淡路/琵琶湖の方角なので聖なる方角といえば聖なる方角です。乾の方角は朝鮮半島ですし、未申は古代秦王国、琉球の方角です。
そう考えると古代土佐においては東西南北というよりも、丑寅/辰巳/未申/乾の方角のほうが大事であったのかもしれません。
しかし、この南伝の文化が北伝文化と融合した邪馬台国文明というのは、奈良で北伝文化のみが力を持つことによって急速に力を失っていきました。それと同時に賀茂氏も歴史の表舞台からは姿を消し、一言主が奈良から土佐に流されたという辻褄の合わない神話が幅を利かせるようになったのだと思います。
仕上げは長屋王の骨が土佐に流されることによって、南伝文化の永久封じ込めに、ある程度成功したのだと思います。
しかし、明治初頭に明治天皇は即位の礼の時に四国から崇徳天皇の御霊を京都に帰還させたのでした。
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2011年4月 高知県室戸市尾崎海岸で第二回尾崎祭りが開催される予定です。
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ばっすい南国市史にも書かれているように、南国の条里制の起源というのはおそらく平城京が成立する以前のものであると私は思います。
1昨年、私も、南海道と推定される古代道路跡が発見された士島田遺跡の現地説明会に行っていたのですが、あの道路は南海道ではなく、土佐の古代条里制の跡だと思います。
といいますのは、その古代道路跡をまっすぐ伸ばしますと船岡山にあたります。船岡山と言えば京都でも重要な位置を占める山です。そしてその横に吾岡山、そして物部川を挟んでニギハヤヒ伝説のある神岡山。あきらかに何かあるでしょう。
しかも田村遺跡は弥生最大級の遺跡です。
ただ、土佐の条里制には京都、奈良とは違う特徴があります。それは道路が南南西に伸びている点です。
それがなぜかと言えば
平安京の四神と都市計画について(玄武の会)
を参照して頂ければおわかりになると思います。
土佐で興った初期大和朝廷が、朝鮮半島経由の北伝文化と黒潮経由の南伝文化、そして日本にもともと存在した先住民族文化が衝突して興ったと何度も書きました。
それをこの土佐条里制でも証明することができます。
(条里制というよりは条竜制ですが、ここでは便宜的に条里制とします)
つまり北伝とは”四神の風水都市”であり、南伝とは”琉球のグスク都市”です。
それらがせめぎあって日本初の条里制都市国家が、東西南北に四神を配置しながら南北ではなく、南南西に道路が振った形で造られたのです。
南南西に道路が振っているのは、つまり竜です。グスクもシュメール由来の竜信仰が強いため道路が曲がっています。
蛇を絵に描いて頂ければわかりますが、蛇をまっすぐ描く人はあまりいないと思います。直線は蛇や竜、うなぎなんかにおいても死を意味すると思います。それがグスクの都市計画です。
都城は生きていなければならないので、土佐秦氏は朱雀大路を西に曲げたということになろうかと思います。
(琵琶湖は南西に流れる瀬田川によって大阪湾にまで注いでいるので天智朝まではこのような都の造りを理解するグループが朝廷内で力を持っていたということだと思います)
七星剣が伝承されている旧幡多国高知県南西部の一之宮神社の内堀には今でも○○龍が祀られています。
通常であればイチキシマヒメが祀られているような場所です。奈良で後期大和朝廷が成立した時に土佐南西部はあまりにも遠いため、つぶし込みを免れたのだと考えられます。今でも北斗七星を主祭神として祀ってる神社も結構、ありますし。。。鎌倉で最も古い龍口明神社もこの系統です。
話を元に戻しますと”土佐高賀茂大社-田村遺跡-七ツ淵”がハハキ(竜木)の方角で並んでいます。
この造りを持っている地域は香長平野はもちろんのこと、完全な大王級の参道を持つ徳王子地区や蘇我赤兄伝承がある安芸地区です。
南南西とは逆の丑寅の方角というのは、土佐から見ればサの神が抜けるサヌキの方角、淡路/琵琶湖の方角なので聖なる方角といえば聖なる方角です。乾の方角は朝鮮半島ですし、未申は古代秦王国、琉球の方角です。
そう考えると古代土佐においては東西南北というよりも、丑寅/辰巳/未申/乾の方角のほうが大事であったのかもしれません。
しかし、この南伝の文化が北伝文化と融合した邪馬台国文明というのは、奈良で北伝文化のみが力を持つことによって急速に力を失っていきました。それと同時に賀茂氏も歴史の表舞台からは姿を消し、一言主が奈良から土佐に流されたという辻褄の合わない神話が幅を利かせるようになったのだと思います。
仕上げは長屋王の骨が土佐に流されることによって、南伝文化の永久封じ込めに、ある程度成功したのだと思います。
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